Manabu

マッチ工場の少女のManabuのネタバレレビュー・内容・結末

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

冒頭にマッチの製造工場が出てくる。
私は今回、この映画を観て始めてマッチがどうやって製造されるのかを知る事ができた。
ポコポコと次々に作られるマッチ箱達を見ていると、何故か気持ちが安らかに落ち着いてしまうのが不思議だった。
この製造の工程を見るだけでも、この映画を観る価値はある。それは決して言い過ぎではないと思う。
終いには煙だけを残して消えていく、なんとも儚いマッチを題材とした愛煙家アキ・カウリスマキ監督はやはり造詣が深いと思う。
もしフィリップ・グラスがこの映像に音を付けたらゴッドフリー・レジオ監督の『カッツィ三部作』の一連の作品にある宇宙世界に通ずるのでは。とさえ感じてしまった。
しかし、ここをあえて、無機質な機械音だけとした事が、物質文明主義を象徴していたようで、とても印象深い。

そのマッチ工場で働くのは、おなじみのカティ・オウティネン。3作目のこの映画では29歳だったようだ。
何故カウリスマキ監督が、カッティを起用したのが、やっと判ったのは、この映画のカッティがあまりにも可憐すぎたという理由からだ。
ポールハーデンの様な滑らかな形状のベージュのトレンチコートを着込んだ彼女は、仕事で嫌な事があるとカフェでむすっとむくれながら、ショートケーキをひたすら食べまくり、映画に行ってはひとしきり涙を流すことでストレスを発散する。
でもそのあとは、ちゃんとメイクし直して彼に逢いにゆく。その姿はまるで四ッ谷あたりで働くOLさんと何ら変わりのない、女子力全開の可愛らしいカティ・オウティネンだった。

小津安二郎に影響を受けたとされているアキ・カウリスマキ監督だが、私はそれ以前に、カウリスマキ監督の元々持っているであろうデザイン力にこの映画を観て着目した。
自身の映画である『コントラクトキラー』において「初めて部屋の中を自由に塗っていい制作費がおりた」と大喜びし、常にポケットには“色見本帳“を忍ばせ、事あるごとにその帳簿を手にスタッフへ色指示を出したという監督はよもやインテリアデザイナーではなかろうか。
私は映画の、とりわけ舞台セットに、ハンス・J・ウェグナーやヤコブセンのような、あたたかみを持った美しい曲線、Marimekkoのようなヒビットな色彩の配置、NOKIAの洗練された機能美、合理的かつ機能的な、何よりも生活に根付いた北欧におけるモダンデザインを見出すことができた。
そして、更にインタビューなどを読み調べると、やはり、監督はエドワード・ホッパーが好きだと言っているのだが、それは画面のほんの小さい部分から、画面の外に通じていく空気にまで、見受けられる事がとてもよくわかる。
ゴッドフリー・レジオ監督と同じく、その作品全てに、マクロからミクロまでこだわるダイナミズムを感じる事ができる。

映画製作以外の時間を、大抵は酒の時間に費やすという監督だが、さてその造詣力を、いったいどこで身につけたのだろう?というのが、私の率直な感想である。
そして、その答えがこの映画の劇中にあった気がする。
これはあくまで完全に私見だが、恐らく監督はプールバーで玉突きをやりながら(シングルモルトを片手に)映画の構想を練ったのではないか?ということだ。
この映画やカウリスマキ監督の殆どの映画に共通する色使い、特に浅葱色、彩度の高いオレンジ、カーマイン。ビリヤード台に敷かれたビロードのモスグリーン。などなど、これらは白から黒までの16色を持ったビリヤードの玉の色相環である。

特に『ル・アーヴルの靴磨き』では、画面の構図は言うまでもなく、完璧な配色といって良いと私は感じた。
マルセルの家の中の少年と警察の寸劇。あの奥行きのある縦構図はただただ息を飲む一つの絵画として私の脳裏に焼き付いている。

そしてもう少し、突っ込んで考察すると、カウリスマキ映画に登場する人々全てが私には、ビリヤードの玉の様に思えてくる事だ。
マッティ・ペロンパー、サカリ・クオスマネン、アンドレ・ウィルム、他にもどんな悪役、脇役、ズッコケ役だろうとも、皆、角がない、丸っこい愛すべきキャラクターばかりだという事だ。
彼等は一様に、非デザイン的なボコボコした形態を持っているが、それがまた備前焼の徳利の様に味わい深く、絶妙に愛苦しい。そして彼等は、互いにぶつかり合い、飛んだり跳ねたりしながらまた壁にぶち当たり、それぞれの人生の道へ転がっていく。。。。。

アキ・カウリスマキという、とても懐の深いビリヤード台の上で、劇的に交錯する人々の人生を垣間見る事が出来るのだ。

この映画『マッチ工場の少女』の終盤にカッティは、あるとても悲しい体験をしてしまうのだが、その前に現れるのは、やはり物言わぬビリヤード台だった。

一本のマッチさえ売れない少女が父親の恐怖におののき、まぼろしの中で至福の時間に浸った後に、全てのマッチを燃え尽くし息を引き取る「マッチ売りの少女」の悲劇がこの映画の通奏低音になっていた。

静けさのある映画でした。

(20140417ADTM)
Manabu

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