みんと

甘い生活のみんとのネタバレレビュー・内容・結末

甘い生活(1959年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

去年のフェリーニ祭にて鑑賞した映画を投稿し忘れていたことに気が付いた2
かなり好みだったので自宅にて何度か再鑑賞した作品。

これは超大作。スクリーンで見て大正解。ロケーションも、キャストも、エキストラも、装飾も、音楽も、全てにおいてお金をかけて作ったというのがわかるスケールの大きさ。それに加えて、ずーっと構図も完璧。こう言うのを超大作と呼ぶのだろう。

「難しい話はしたくない。」と、ヌーヴェルヴァーグ作品での小難しい話を永遠とする若者たちとは対照的な彼ら。
だからこそ、3時間で唯一本音でマルチェロとスタイナー氏が語り合ったシーンが忘れられない。
「もっとみじめな生活が良い。秩序ある社会に守ってもらう生活。予測通りに進む生活。」
「夜になると暗さと静けさが辛い。何よりも平和が恐ろしい。見かけは平和でも裏には地獄があるようで。子供の未来を考える。情熱と感情を超えたところで芸術の調和に生きるべきだ。魅惑の秩序の中に。互いに愛し合い時間の外で生きるべきだ。超然と…。」
お金や名誉を手にすることで表面的に豪華な生活に溺れる。その空虚さに気が付いてしまうと、小さな幸せを噛み締められていたみじめな生活が恋しくなる。しかし一度溺れてしまうと中々脱することは出来ない。もういっそ、世俗には関与せずに超然と生きていきたい。
そしてそんなスタイナー氏の死を受けて
「彼はきっと恐れていたのだ。自分自身を、我々を。」とマルチェロは言う。
スタイナー氏は、自分達の生活の空虚さに、脱することが出来ないかもしれないという恐怖に、脱することが出来ても不感症になってしまって以前の自分には戻れないかもしれないという恐怖に押しつぶされたのだと思う。
しかし、スタイナー氏の死によって道を正すどころか自暴自棄になるマルチェロ。自堕落で矛盾した生活に溺れることで自分を騙すことしかできなくなった彼に、もう純粋な少女の声は届かない。現実や自分の本心から逃避し思考放棄した代償は大きいだろう。
そんな上流階級者達の精神性の乏しさ、「変えたい」と思いながらも流されていくしかないという不徳を、美しく儚く哀しく3時間描き切った超大作。3時間もかけたのに、主人公は結局何も変わらなかったというのが絶望的。しかし、彼らの生き様に不思議と引き込まれるのは、自分にも少なからず彼らのように生きてみたいという願望があるからなのだろう。いい反面教師にもなる作品。
みんと

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