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甘い生活のbluetokyoのレビュー・感想・評価

甘い生活(1959年製作の映画)
3.8
七つの大罪がどのエピソードかわからないが、ローマの夜通し続く退廃的な乱痴気騒ぎをゴシップ記事の記者、マルチェロを通して描く。途中で飽きそうな気がするが、ダラダラと見続けてしまう。いま、眼前に展開している光景が、滑稽で軽薄な営みに過ぎないと思っている目で見ているからだろうか。
だが、冷静で自分をコントロールしつつ、うまく泳いでると思っているマルチェロは、徐々に抜け出せなくなっていく。

冒頭は大きなキリスト像が宙を飛ぶシーン。なんのことはなく、ヘリコプターで宙ずりになっているだけである。そのさまをヘリコプターに乗ったマルチェロが撮影している。

高級クラブに行ってゴシップネタを探しているとカネ持ちの美しい女、マッダレーナに誘われて外に出る。わざわざお世辞にも美しくはない街娼を街娼の自宅まで送っていく。家は集合住宅で、部屋は水道管が壊れていて床は水浸しだ。街娼の部屋で、マッダレーナとマルチェロはセックスする。ただし、この映画にはセックスシーンやヌードシーンはない。普通は、街娼にカネを払ってセックスするわけである。

マルチェロはようやく自宅に帰ると同棲しているエンマが毒を飲んでいて倒れていた。あわてて、病院へ。それほど、ひどくはならなかった。病院の看護婦の恰好が面白い。

アメリカからセクシー女優のシルヴィアが飛行機でやって来た。さっそく、マルチェロは取材を始める。夜は、シルヴィアと二人でローマの街中へ。シルヴィアは、路地で子ネコを見つけて抱き上げる。マルチェロへ牛乳を探して欲しいと頼む。牛乳を探している間にシルヴィアは、服を着たままトレヴィの泉へ入ってしまう。しかたなく、マルチェロも服を着たままトレヴィの泉へ。

マルチェロはエンマと聖母が現れると噂のある草原へ。すでに多くの野次馬が詰めかけていた。奇跡の木というのがあって、みんなが枝をむしり始めた。なにをやってんだろ、と思っていると、エンマまでが、枝をむしり始める。

友人のスタイナーの自宅でパーティー。子どももいて、理想的な家庭だった。だが、スタイナーはなにかの不安におびえていた。

自宅に戻ると、地元の父親が来ていた。さっそく、マルチェロは、夜のローマの歓楽街へ招待する。最初は楽しげだった父親は、歳のせいかくたびれたと言って、家に帰る。さらに、翌朝には父親は地元へと帰っていった。

侯爵の城でのパ^ティーへ行く。みんなでぞろぞろと幽霊を見に行く。

ようやく家に帰ると、こんどは、スタイナーが自分の子どもを射殺して、さらに、銃で自殺したという知らせ。すぐに、スタイナーの家へ行く。

あるカネ持ちの家での乱痴気パーティー。夜通し騒ぎまわって、翌朝は、みなと一緒に浜辺へ。ハマには巨大なエイが打ち上げられていた。もう、腐りかかっていた。

川の対岸には、レストランで会った少女がマルチェロに声をかけていた。遠すぎてなにを言っているのかわからないので、そのままにして、マルチェロは歩き出すのだった。

ということで、最後の巨大なエイの死骸が比喩になっている、というのはわかりやすいが、他のエピソードがなんなのか、よくわからない。

おそらく、夢のような世界があたかも存在しているかのように見えるが、実際のところ、やはり、それは、夢幻に過ぎない、ということであろうか。マルチェロは、記者なので、それが、夢幻だとわかるのである。

途中、砂浜かなんかのレストランで、一人、タイプライターで執筆しようとすると、美しい少女がいた。この少女は、現実なのだろうか。あるいは、恋人のエンマも。

最後は、執筆も止めて、広告代理店かなんかに勤めているらしく、もはや、現実には戻れなくなっているのだ。

性的な退廃を表現するのに、ヌードシーンもセックスシーンもない。そういうシーンは最初からなしでもよかったのかもしれない。
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