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ライアンの娘のろのレビュー・感想・評価

ライアンの娘(1970年製作の映画)
5.0

ローズは泣きながら海へ向かう。
足早に砂浜を歩く彼女を神父は引き留めて話を聞こうとする。
「夫がいて金にも困っていない。その上健康だ。君は一体何を求めているんだ」
「私にもそれが分からないのよ」
何一つ不自由がないということが不自由なのだと思う。

腕のもげたロブスターを男たちは放り投げ、やがて地面に落ちると蹴とばして、そうやって大事なものを村のみんなからバカにされ虐げられるマイケルは、泥まみれになりながら菜の花を摘み、洞窟の中で宝物を愛おしむ。
あなたのように勇敢だったらと羨ましがられる英雄もまた、足を失い希望を失い、泣きたい気分でいっぱいなのに涙一つ流れない。
自分の罪を娘に被せてしまうライアン。
妻の心を取り戻すことができないチャールズ。
足りているという不幸。
足りていないという幸福。
完璧なユートピアを目指すほどどこか物足りず、怒りや罪悪感を自ら生み出しディストピアにしてしまう。

浜辺に残るチャールズの足跡に、ひとまわり小さな足をのせて想いを馳せる。
肩に手を置かれるだけで胸がときめいた。なのにいざ結婚してみると、なんか違うの連続で、彼の控えめな愛情表現に物足りなさを感じてしまう。

ゆるむ地面にぼこぼこと水たまりをつくるアイルランド。
真っ青な空にはカモメが群れをなしている。
「そうか、君は翼がほしいのか」
深い森の中、ローズと少佐に同期するようにさざめく木の葉、風に散る綿毛。
二人を照らす太陽は少しずつ西へ傾いていく。

もっとやれと煽る男たち。ばかだねとあざ笑う女たち。
裏切り者の烙印を押されたローズは、村人から制裁を受ける。
震えながら椅子に腰掛け、夫婦は黙って酒を交わす。
妻は刈られた髪を静かに暖炉へ投げ込んだ。

ダブリンへ向かうバスが来る。
いつも邪険にしてきたマイケルに、ローズは初めて自分から歩み寄る。
あの日、断崖から落ちていく白いパラソルを拾ってくれたのはマイケルだった。冒頭と鮮やかにつながるラストシーンに涙がとまらなかった。


( ..)φ

今のままで十分幸せなのに、なぜか自分で不幸を生み出してしまう。
ちょっとした許せないことを自分の中で大事件にしてみたり、誰かと比べてひがんだりがっかりしたり、ついた嘘に罪悪感を感じたり、大なり小なり不安や不満や鬱憤を抱えながら生きていて、逆にそれがないと幸せを感じることができないのもまた事実だと思う。そしてそのことを忘れがちで、自分の置かれた環境に対して、至らない自分に対して、足りなさを感じる。
完璧じゃなくていい、そもそも何をもって完璧と言えるのか。知能が、五体が、愛情が足りなくても生きていけるのに。

ダブリンへ向かうバスを再出発だと思った。
清々しい気分のまま、少し散歩をした。
すっとフレームインするカモメ、絶妙なタイミングで足跡をさらっていくさざ波。
どこもかしこも神が作ったとしか思えない完璧な演出と構図。
1秒たりとも目が離せなかった。
ろ