都部

ドラえもん のび太の日本誕生の都部のレビュー・感想・評価

2.6
2016年にリメイクも成された本作であるが、ことこの映画はリメイクが完全なるアップグレード版として存在しており、原点である映画には数多くの不足不平不満が積もる内容となっている。

冒頭 嫌気が差したのび太が家出を試みるも現代の土地に所有者が当然いるという現実に辟易とさせられる入りから、土地の権利者も何もない七万年前の時代へと逃避するというユニークな帰結はドラえもんならではの発想の飛躍で面白い。原始人の姿形をして快適な家出を楽しむというコンセプトはこの段階で満たしており、事件性とは遠いワクワクのみで話が展開される前半部分は比較的良好である。

問題が生じ始めるのは原始少年との遭遇からである。

とはいえ現代に舞い降りた彼との不通なる交流を経て、謎の支配存在の脅威を取り除くドラゾンビの活躍は未来の技術で過去の存在を淘汰するというカタルシスを帯びているし、そこからの旧映画限定の夜の宴シーンはリメイク版でオミットされたのが不思議なくらい良いシーンである。ただこの時点で父と母と再会するという原始少年の目的は達成されており、そこから物語に絡まなくなるのは存在が薄らになるのはやや問題である。

三幕構成の三幕の突入から、ギガゾンビとの対立が本格化するが明らかに尺の不足を感じる悪い意味でのスピーディさは際立っていて、特にその決着部分では大きな不満がある。デウス・エクス・マキナ的というか、ひみつ道具の思わぬギミックで勝利するような気持ちよさとは無縁のオチは物語の味わいを陳腐化させている。これはギガゾンビの過度な存在の矮小化もあるだろう。残り5分から格が落ちすぎ。

そしてのび太が育てていた三匹の幻獣──親代わりであるのび太のドラマは有耶無耶な形で解決して、その振る舞いは物語上の必要な要素だから配置されていた以上の意図を見い出せず、形式的な出会い、活躍、別れを行うだけで、そこにドラマがあるべき理由としてかなり弱かった。

本作で面白いのは原始時代に足を運んでひみつ道具で快適に暮らすドラえもん達とギガゾンビの境遇がともすればまるで同じという点にあり、精神性の善悪による対立はドラえもん達の善性を証明する展開となっている点だ。正体不明のギガゾンビの真相の開示はやや唐突だが、正体不明を引っ張る為の土偶だったり幻影だったりの展開は物語を盛り上げるものとして好ましく思う。
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