デニロ

米のデニロのレビュー・感想・評価

(1957年製作の映画)
3.5
1957年製作公開。原作脚色八木保太郎。監督今井正。

題名から稲作の話かと思っていた。物語の場所は霞ヶ浦沿岸の村々。半農半漁の家々。先祖伝来の財産を継ぐのは長男。そんなものがあればの話だけれど。田植え、水入れ、草刈り、一家総出の稲作大作戦。泥濘、土埃、害虫。牛を休ませるんじゃない!!1957年当時の稲作の手作業感が見ていて辛い。小さな田んぼの米だけじゃ自家米にしかならない。ここは霞ヶ浦、主たる収入源は漁業なんです。

帆曳き漁という漁法。どういうものなのか分からないので調べてみる。霞ヶ浦独自の漁法だそうだ。網口の開いた網を水の中に降ろして、帆を徐々に上げていき、帆を凧のように利用して風を受け、船を縦ではなく横に流す。しばらく走ってから網を回収するとしらうおやワカサギが入っているという仕組みらしい。

霞ヶ浦の漁場はいくつもの市町村が入り組んでいて争いも絶えなかったようだ。そんな話も織り込みながら物語は進められる。あり余るエネルギーを持て余した若者たちの群像。とはいっても元気で明るい青春映画というわけでもない。東京ぼん太じゃないけれど「夢もチボーもないね」を体現している男子たち。女子との出会いの場もなく、夜の楽しみは酒飲んで近村の女子のいる家を覗き見る、って大丈夫かにっぽんよ日本。そんな若者のひとり江原真二郎が覗いた家。病気がちで臥せっている父加藤嘉、代わりに田んぼに漁にと八面六臂の母望月優子。健気に母親の手伝いをする素朴な姿の中村雅子の美しさに惹かれる。この中村雅子という女優さん、母親役の望月優子の妹だそうで、本作製作の翌年結婚しますがそのお相手がなんと本作の父親役加藤嘉。このおっさん、撮影中、何をかんがえていたのやら。

閑話休題。

若者が夢や希望をもって生きているなんて、自分自身を振り返ってみてもそんなことはなかなかあり得ないことだと思う。あるいは絶望しかなかったと言い換えてもいい。何かをしたいというよりは日々しなくてはならないことをしていくしかなかった。金が絡むとそれはかなり顕著になる。そうやって生きながらえてきた。本作の若者とそれほど変わらなかったんじゃないか。今どきの若者が本作を観てどう思うかはわからない。第一次産業の就労者の数は本作当時の2割弱まで落ちこみ、第三次産業の子弟が大部分なんだから。かれらが何を儚んでいるのか分かるのだろうか。自分たちと同じなのだろうか、伝わるものも継ぐべきものなど何もない階級。椅子取りゲームに勝ち残らないと、そんな思いで日々を暮らす。

霞ヶ浦で誰かが流した刺し網を拾う望月優子。それを使って禁じられた刺し網漁をしているところを監視船に見つかり、抵抗した揚げ句係官に傷を負わせてしまう。漁業法違反、傷害、公務執行妨害で呼び出し。家の事情をかんがえるとなんとか刑を免れたい。どうにもならず警察に赴くがそれ以上足が進まず、手土産に奮発した鰻が笊からこぼれ落ちる。警察に手土産の鰻も悲しいが、その後、より悲惨な出来事が起こってしまう。

昭和30年代なんて土ぼこりの記憶しかない。そんなにたいしたものも食べていなかったし。わたしの家がとりわけ貧乏だったんだろうか。本作を観ていてもちぐはぐな感じはしない。ここに写っている人間が日本だった。当時の東京を舞台にしたハイカラな映画作品を観ながら、本当に東京はこんなにきれいだったんだろうかと思うのです。

国立映画アーカイブ 逝ける映画人を偲んで 2021-2022(江原真二郎) にて
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