カタパルトスープレックス

激動の昭和史 軍閥のカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

激動の昭和史 軍閥(1970年製作の映画)
3.2
「東宝8.15シリーズ」の第四作目です。成瀬巳喜男監督の元で助監督を務めた経験のある堀川弘通監督。舞台は第二作の『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年)と同じですが、本作の主人公は東條英機です。

『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年)は円谷英二が最後に手がけた空中戦としても有名な作品です。特撮だけはとても観る価値のある映画でした。本作は特撮よりもドラマパートに重きが置かれています。そう言う意味では「東宝8.15シリーズ」第一作目の岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(1967年)への原点回帰とも言えます。

さて、本作はある程度は「史実」に基づいているとされます。しかし、この太平洋戦争について「史実」はかなり曖昧もことしています。東條英機は日本を戦争の泥沼に引き釣りこんだ張本人です。日米開戦を決めたのが東條英機です。しかし、昭和天皇は戦争に反対だった。その意を汲んで東條英機は戦争回避に尽力を尽くした……ことになっています。本作ではその様子も描かれています。

しかし、講和のタイミングはあった。それを拒否したのもやはり東條英機です。天皇の意を汲むことに全力を尽くしたのも東條英機でしょうし、天皇の意と反する徹底抗戦を続けたのも東條英機でしょう。人間は多面性があります。しかし、東條英機の多面性はあまり説得力のある描写では無いと思います。そこは本作のキャラクター造形がうまく行っていない部分です。何が東條英機をそこまで狂わせたのか。そこが全く描かれていない。

おそらくですが前作『日本海大海戦』(1969年)で描ききれなかった日本の戦争に対する高揚感というか空気感が本作でも欠落しているんだと思います。『日本海大海戦』では日比谷焼打事件(日露戦争の講和条約ポーツマス条約に反対する国民集会)まで描くべきだったし、本作でも銃後の呑気さをもう少し描いた方が良かったんじゃ無いかと思います。「国民は真実を知らされていなかった」と言いますが、それ以前に浮かれていたのが当時の国民です。その国民の空気感がなければ軍部が本作のタイトルである「軍閥」にならなかったと思うんですよね。

ドラマパートに関してはもう一人の主人公は、「勝利か滅亡か、戦局はここまできた」、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ」と真実を報道した毎日新聞の新名丈夫記者(加山雄三)です。この新名丈夫記者をもう少し掘り下げて描いても良かったんじゃないかなあ。記者の目を通じての国民とかね。ミッドウェイでの敗北からサイパン陥落、それに続いての大空襲。これでようやく銃後も目が覚めた。バブルで沸いた開戦前と終戦近くの悲壮感。このギャップですよね。本作にはそれが無い。だから、悲壮感もとても味気がない。

国民と天皇を悪者にしないために罪を一人で背負った東條英機。本人はそれで満足だったかもしれませんが(実際にその罪は大きかったから)、国民は犠牲者で天皇は責任がない。この結末で本当によかったのですかね?国民は東條英機を支持してたし、天皇も東條英機を止めなかったよね。「貴様らに責任はないのか?」とは新聞記者だけじゃなく、国民にも天皇にも向けられる言葉ですよね。