なおきち

東京物語のなおきちのネタバレレビュー・内容・結末

東京物語(1953年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

大学生の時、大学のビデオブースの小さなテレビにVHSを入れ、ヘッドホンにガサガサの画質で見た。夫婦が上京した頃合いに、すっかり私は寝ていた。映画館で2度目の鑑賞。

「おしまいかぁ」お父さん(笠智衆)は、じっとこらえるように言った。医者の長男は、お母さんの命は朝までもてばいい方だと、彼に告げていた。

物語は夫婦が東京の子供たちを訪ねるための旅支度から始まる。「枕(何枕かは聞き取れず)はそちらに入れてます?」
「前に渡したろう」
「ないですよ」
「ないこたないよ」
お父さんがカバンを探ると「あった」
これが人間同士の会話だ。これを見てしまうと、コミュニケーションだの、伝える力だのは、テクニックというより逃げの言い訳に感じる。日本語で話すっていいな、と思うやり取り。

東京についてから、迎える家の息子夫婦もそうだが、あいさつの所作など見入ってしまう。孫たちの挙措を失ったかのような、ろくに挨拶もできない姿は対照的。昭和28年、それだけ変化があった時代だったのだ。世界がまるきり変わるような変化だったのだ。

日を経るにつれ、少しずつ、長男夫婦、長女夫婦の「おかまい」がおざなりになる。追い出されるように行った熱海も安宿のドンちゃん騒ぎでろくに眠れもせず。東京に戻ると長女から「もう少しゆっくりしてくると思ったのに」と、言われる始末。仕方なく妻は、息子の元妻で未亡人の紀子の家に、お父さんは、古い友人の服部さんを頼ることになった。それまで上野公園で時間を潰す2人のうすぼんやりとした空間は、胸が締め付けられる。

紀子は、お母さんに心底親切にする。でも、「息子を忘れて良い人がいたら嫁いでおくれ」という言葉には、ゆっくり考えながら答えた。

尾道への帰り道、お母さんの具合が悪くなり、帰宅後危篤に。

子供達は1人を除いて死に目にあえたが、葬儀がすむと、「あの着物が形見に欲しい」と尾道に住む京子に指図し、その日の夜に紀子を残してとっとと帰った。

紀子の発つ日、京子はみんなを身勝手だと言う。紀子は大人になると親から離れて自分の世界が第一になる。自分もなりたかないけど、そうなっていく、と諭す。

「子供たちよりも、言わば赤の他人のあんたが1番親切してくれた。あんたはいい人じゃ」お父さんは、お母さんを泊めてくれたことをお母さんが一番喜んでいたと伝え、感謝した。
「亡き夫を忘れる日も増えてきて、何もない日に不安になる。お母さんにこれを言わなかった自分はずるい」と紀子は答える。
「それでいいんじゃ」というと、形見の時計を渡した。

京子は授業をしながら、ふと外を見る。あれは紀子の乗った列車だろう。中では、紀子が形見の時計をギュと握りしめていた。

笠智衆氏の目、時に優しく輝き、時にこらえて曇る。この映画を通じて、演技した役というより人間がいた。他の作品での姿が全く想像できない。見てみたい。

「子どもが思い通りにならんと思うのは親の欲だ。そう思うことにしているよ」日本酒でグデグデの深夜0時、この言葉を言える人は、着物も洋服も似合っていた。
なおきち

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