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フットルースのPのネタバレレビュー・内容・結末

フットルース(1984年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

必要なのは「規制」ではなく「対話」

保守的な大人たちとそれに対抗する子供。この構図はよくある話で、こうなるのは仕方のないことなのだと思う。

なぜなら大人たちは若者よりも多くのことを経験し、沢山の失敗と後悔を重ねた末に今を生きている。若者よりも長く生きてきたその年月は、間違いなく大人の意見を肯定する証拠になり得るし、苦労が多ければ多いほど、なんとか辿り着いた自分が信じているものを否定したり、考えを改めることは難しい。そしてその経験に基づいた意見が、若者に対する適切な助言であり、特に自分の子供には「こうしていれば大丈夫だから私に従え」と考える人も出てくるだろう。もちろん、大人の意見に従っていた方が人生"うまく"生きていけるかもしれない。

本当にうまく生きていけるとしたら大変ありがたい話だが、あくまでもそれは「何十年も昔に若者だった人が考えた今を生きる方法」であり、今の時代を生き抜く若者に必要な言葉からはどう頑張ってもズレてしまう。

牧師である父は自分が信じているものが全てであり絶対に正しい、そしてそれは娘のためにもなると信じて疑わなかったが、知らぬ間に成長している娘と、それに気づいていた妻との対話によって、自分の考えがズレていたことに気付かされる。

牧師はここで己を顧みたことによって物語はハッピーエンドへと向かったわけだが、現実世界では家族からの対話があっても尚、自分の意見を曲げない大人は大勢いる。そうなると、その先にあるのは選択肢の削り合いで、物事の平和的解決は難しくなっていくだろう。

結局どれだけ大人が子供を守ろうと必死になって世界を閉ざしても、子供はどこかで勝手に失敗するし、思わぬ方向へ進んでいく。そうやって失敗を重ね、またその彼も大人になっていく。

だから大人は危なっかしい若者をある程度見放す勇気を持たなければならないし、若者は自分を見守ってくれている大人たちを敬う気持ちを忘れてはならない。

信じるものは違っても、お互いのことを尊重し合い対話をすれば分かり合えるかもしれない。そんな希望を示してくれる映画だった。

難しいことは置いといて、とにかく今夜は踊ろう!
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