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上海バンスキングのニューランドのレビュー・感想・評価

上海バンスキング(1984年製作の映画)
3.7
これも’80年代の深作作品で初見、これも観ていないが作者の世代が少し下の自由劇場の舞台とはおそらく相当違っているのだろうが、脂ののりきってた田中陽造脚本ということもあるのか、戦争の主体・一般人のそれへの関与・様々な国家や民族や文化の隣接と干渉という深作の根っこに関わる題材のせいか、同じように’70年代は映画表現の拡大・解放を行っていたR・アルトマンが転じたように、最良・最高の演劇的空間、その密度・集中度を実現し、’70年代終盤以降の深作作品では最も、強く豊かに衝いてくる作品かもしれない。
(技術オンチの私にはオプチカル合成部が経年で何故これ程劣化するのかわからないけれど・そういうことを除けば、成功してる)ショー自体の華やかさ・自由のレジスタンスよりもむしろ描写の中心となる、主人公二人が戦前の上海で居候する様々な人間が出入りする宇崎竜童の家の応接間は、扉や窓からの光・人・イリュージョン、2階からの階段が入り込む以外は、内部だけが煮詰められて、カットもあまり割らず(といって長回しにも転ぜず)、カメラも長め・速めに動かず、装置も少なめ・やがて俳優以外は闇バックに転じ、ただ俳優・役の中心に迫ってゆく、俳優は映画的動感を捨て舞台の様にスタスタ手前に普通に歩いて来たりもする。宇崎の同級生・現在将校の夏八木勲が前面に見えてくる頃から、人物たちが自覚ある無しに複雑とならざるを得ない各あり方と見かけ以上に圧迫が進んできてる社会の間の齟齬のうごめきが見えてくる。スイスイ行動的に見えて繊細で建前に縛られた夫の風間杜夫以上に、根は古風さあるもその鷹揚さが心の大きな存在となってくる夫と並ぶバンドの中心・夫の親友の宇崎の存在、コミュニストから特務機関に転じて社会を動かす可能性への同化を見出だしてく、元婚約者の平田満の心の闇、らを受けての(格闘や苦悶よりショーガール・柔らかく何でも受容ががぴったりの志穂美悦子の相方でもある)松坂慶子の対立・敵味方を作らぬ全てを抱擁し活かさんとする、そして世界の真の姿とそれに対し人の無理なく立つポジションを示してくる、キャラ・表情。それは、作品が時代を超えて何故か屹立しているように、作品のヒロインをはみ出て世界の中心足り得てる(他作のように、力演したり・美で突出しようとしたりせず、芝居のアンサンブルに溶け込むことで、逆にすべてを引き込んでる)。この人が肢体・表情の表面以上に、こんなに真の美しさと原動力を表現として持ち得てる人とは今まで気づかなかった。
これと間違え入ったこの前の『道頓堀川』の、ラストの嘗ての手持ち+スローの延々他人痴情絡み主人公刺殺や、宮本輝の味わいは?はともかく、『ハスラー2』先鞭ナインボールでの世代闘争+幼く素朴恋愛の力もよく、ゆったり平明文芸中心+ケレンや(リアル)血闘無し(少)の’80年代深作も企業主導以上の銘品多と今更ながら思う。
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