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切られ与三郎のpsychedeliaのレビュー・感想・評価

切られ与三郎(1960年製作の映画)
5.0
戦前,時代劇映画という言葉を創り,興行主-製作者という上位下位の制作スタイルを逆転させ,日本の娯楽映画の世界に作家性の萌芽のきっかけを与えた希代の映画作家伊藤大輔。サイレント映画全盛期にキャリアの頂点を極め,戦後その作品の多くが精彩を欠いたといわれる氏のそれでも今尚名作と仰がれる戦後大映制作の一篇。58年の『弁天小僧』とに続きまた歌舞伎に取材し,それを現代的な感性で再構築している。
私はオリジナルの歌舞伎を全く知らないので,脚色部分がどこなのかはよくわからない。観ようと思えば直ぐに観られる世の中であるし,歌舞伎に敷居の高さを感じるなら浪花節でも良いわけで,観られないという言い訳は効かないわけだが,それでも暫くの間は縁がないものと思っている。というのは,私は歌舞伎や人形浄瑠璃には確かに興味があるのだが,どちらかといえば活劇が好きな人間で,例えば仮名手本忠臣蔵だとか義経千本桜だとかに強く惹かれる一方,古典的かつ定石的な悲恋物にはどうにもぞっとしないのである。今まで映画でさえこの手のものを幾つも観てきて(いくら現代的な解釈がなされているとはいえ,或はそれなればこそ)これ以上徒らにやたらにめたらに湿っぽいものをわざわざ安くないお金と暇を見付け出してまで触れる気にはならないというわけだ。
だから,この作品だって伊藤大輔が撮った作品でなけりゃ,いやさ雷蔵の主演でなけりゃ観る機会はなかったものでしょう。これがたまたま新宿の映画館で雷蔵映画の企画上映の一本に入っていたもんだから,迷わずこれに行ったというわけ。なんたって伊藤大輔の映画が映画館で観られるんだもの,こんなチャンスを逃す手はないね。
『弁天小僧』に続く歌舞伎映画という触れ込みだけど,枯れても尚気鋭の人がメガホンを取っているだけあって映画そのものの表情が全く違うのだね。舞台装置の美しさ,歌舞伎や果ては見世物小屋の仕掛にまで連なる日本家屋の美しさを徹底して魅せつけた前作と違い,こちらは人物により接近し,リリシズムとでも云うべきようのものが雷蔵を,淡路恵子を,中村玉緒を,冨士真奈美を焰と影のおもて裏で包み込んでいる。お富と与三の初の情交は,喉を絞められるような,それでも尚生唾を呑み込むのを厭い得ぬような,濡れた科白の応酬と,揺れる火焔の影形とが付かず離れず去来逡巡して,この上ない幻燈影絵を創り上げている。これは日本人にとって残酷な恋に対峙する最高の表現の一つなのだ。
それにしても与三郎とは因果な男だ。女に三度裏切られても死中にまみえず,しかし漸く惚れ抜かれた女にはきっぱり殺される定めとなってしまうのだから。捕手の御用提灯は目睫の間に迫り,吾が目論見にてその燈明の海へ飛び込まんとする与三の後ろ目に女は自ら死の道を選ぶ。与三が驚き駆け寄ったその時,冷たい剃刀が女の首に緋を打った。
前作で闇小路に精霊流しの鮮やかさで浮かびあがる捕手の灯りの中にやはり鮮やかに散った雷蔵は,しかし与三はその騒ぎを対岸の火事か漁火かと背を向けて,もう一つの死路を求めて瀬の中を心もここにあらずと愛したひとの亡骸を抱いて去っていく。前を見ても死,後ろを見ても死。なんて因果な男なんだろう。
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