【やさしい気持ちで目ざめられた頃】
久しぶりにみて、改めて感心してしまった。いい映画です。
気になったのはラストの事件が、流れの中では唐突にくっつけたように見えてしまうことで、しかしそうなる原因もある程度わかるので、納得はできます。
まだこの頃は、宮崎さんも善人を善人として素直に描いていた。原作がそうだから、その影響もあるのでしょうが。
描画の積み重ねで厚みある飛行シーンはやっぱり見事ですが、雁の群れとの絡みでより、力強さを底上げしている辺り、さすが職人。ちゃんと野生動物の特性を脚本に溶かし込んでいるし。そこから続くカラスのエピソードも、次の登場人物へとバトンを渡して自然です。
少女の自立が縦糸ですが、性の目覚めも忘れず脇に置いていますね。
キキって、顔から上半身は成長する勢いがあるけれど、かぼちゃパンツに包まれた下半身は、男を受け入れる準備もその気もまるでない。発情に関しては、黒猫ジジが一歩リードしてしまう。
でもトンボや同世代の女の子と絡むと、そんな自分に葛藤する。まだ原因はわからない、乙女心の地下胎動をきちんと抑えているのがさりげなく豊か。
自身の魔女力(=居場所)に悩むのがお話の要になりますが、出会う人々とのかかわりの中で、ゆったりと解決に向かうことがわかります。
が、そう描いているから、ラストの事件がなくとも、また極論、魔女でなくとも幸せになれそうだと思えてしまう。関連人物とコミュニティを優しく、魅力的に描いた弊害でしょう(笑)。ラストの唐突感はこれが大きいと思っています。
少女の自立に関しては『千チヒ』と、天かける爽快感については『風立ちぬ』と、それぞれ比較するとその後の変遷がわかり易いですね。
宮崎さんって作り手としては正直な人で、自分の描きたいものを、世相を反映させダイレクトに出して来ると思っているのですが、この時はまだ、「やさしさに包まれること」が信じられていたんだな、と素直に感じられます。
エンドロールも何気なく巧い。魔女が廃れていくことは作中でも言及されていましたが、魔力と技術力の関係がそのまま、トンボの飛行機との関係に反映されています。
また、その後のコスプレブームも、ちょこんと予証していますね(笑)。
<2015.5.18記>