パングロス

父ありきのパングロスのレビュー・感想・評価

父ありき(1942年製作の映画)
4.7
◎シングルファーザーむじな先生、子育て奮闘記

4Kデジタル修復版による上映
*戦後GHQの検閲でカットされたシーンもロシア版で補い復元(文末リンク)。
時間は『大全』94分,今回92分,後半に一部欠落

太平洋戦争開戦の翌年1942年、戦時中における唯一の小津作品。
しかし、国策映画では全くない。

ストーリーは変化に富み、内容も充実している上に、極めて完成度が高い。
役者も揃い、笠智衆のベストアクトは『東京物語』ではなく本作。
小津ファンならずとも日本映画を少しでも愛する人ならば、必見の超名作。

【以下ネタバレ注意⚠️】





「泣かんでよろしい。別に悲しいこっちゃないさ」

「本なんて、いつでも読める」

金沢の中学教師の堀川周平(笠智衆)が凛と威厳ある姿で生徒に数学を教えている。
*本作は、1936年の『一人息子』の鏡像的な作りになっているが、この数式が板書された黒板を背負って講義するシーンも前作で日守新一が演じていたものを踏襲している。

堀川は男手ひとつで、一人息子良平(津田晴彦、後に佐野周二)を育てている。
笠智衆が時折り、縫い針を髪の毛に当てて脂分を補いながら甲斐甲斐しく縫い物をするシーンが印象的。
戦時中の成人男子の描写としては極めて稀なのではなかろうか。逆に、当時の検閲の対象によくぞならなかったものと思う。

中学校は東京(皇居遥拝がメイン)、鎌倉(大仏前で記念写真)、箱根のルートで修学旅行を敢行する。
*東京はもちろん、鎌倉、芦ノ湖もロケ。本作は日本各地を転々とするロードムービーでもあるが丁寧に各地のロケが行われている贅沢な作り。

箱根に一泊した際、堀川は、ボートは危ないから決して乗るな、と訓示する。
ところが、禁を破って芦ノ湖に繰り出した生徒のボートが転覆して絶命した。

責任を感じた堀川は教師を辞職。
同僚の平田先生(坂本武)から、
「堀川先生は事前に生徒たちに注意していたのだから何も悪くないですよ」
と慰留されたのに対して、
「いや、私がもっと強く言わなかったのが結局いかんかったのだ。
私も一人息子がおるから、わかるんじゃが、親御さんが亡くなった我が子のことを考えるたびに、なんであの時、先生は息子を止めてくれなかったんだと思うじゃろ。
私は、それを思うと、もうこのまま教師を続けることはできんのだ」

機関車に続く列車の長い車列がカーブしながらウネウネと動くさまが印象的。

堀川は息子良平とともに、故郷の信州に戻った。
古城址の石垣の上に座り、語り合う二人。
*「上野」と聴こえた気がしたので、てっきり伊賀かなと思ったが、伊賀上野城の石垣とは違った。どこの城跡なのだろうか?(**)
**『ディス・マジック・モーメント』(2024.3.19 レビュー投稿)に、
「上田は昔から養蚕で栄え、旦那衆たちが映画人を招いて映画製作を支援する文化的伝統が根付いていた。黒澤の地方ロケは上田が初めてだったし、小津のトーキー第一号も上田でロケされた」(上田映劇 原悟さん談)というエピソードがあった。『一人息子』の信州ロケが上田で行われたことを言ったものと判断されるが、同作の姉妹編としての性格をもつ『父ありき』に登場する信州のロケ地も上田ではなかろうか。そうであれば、石垣は上田城跡ということになる。〔2024.3.19追記〕

堀川は、昔馴染みの住職の寺に居候しながら村役場に勤める。
寺で、住職(西村青児)と並んで障子紙の貼り直しをするシーンは相似形構図。

堀川と良平が川で魚釣りをする後ろ姿のショットも有名だが、言うまでもなく相似形構図の典型で、大小の対比的な二人して円弧を描くように釣竿を振り回すさまが目に楽しい。

後に、このシーンは、成人して教師となった良平と再会した時に反復されたこともあって、本作のアイコニックな存在ともなっている。

良平は、(長野市にある?)中学に進学し家を離れて寄宿舎に入ることに。
父と別れることを寂しがる良平。
人の成長にとって大事なことだと諭す父親。

「私も、まだまだ人生長いんだ。
ひとつ、東京に出て、もう一旗あげてみようと思っとるんだ」

堀川は、東京に単身出て、会社勤めの生活を送る。

金沢時代の同僚、平田とたまたま出くわす。
彼も、教師生活を切り上げて、東京にきて、市役所(今の都庁)で市史編纂に従事しているとのこと。

息子良助は、高校は仙台に合格し、東北帝大に進学する。
就職で東京に出て来て父子一緒に暮らせるかかと思いきや、秋田高専で教鞭を取ることに。

良助は、一度、秋田から東京に出てきて(箱根で?)父との再会の時を過ごす。
別れ際に、
次は、徴兵検査の時だな、と。

金沢中学の卒業生には黒川保太郎(佐分利信)ら東京で就職した者も多く、堀川と平田を囲んで同窓会が開催されることになった。

良助が徴兵検査で上京、父のもとに寄宿中に同窓会が開催された。

宴席で堀川は、乞われて、詩吟「正気歌」をうなる。
*この詩吟は海軍軍人広瀬武夫の作で、尊皇報国を歌うためGHQ検閲でカット、ロシア版で復刻された。
*笠智衆の一芸披露は小津映画のあるある。
また、出征中の同窓生3名に向けて献盃する。
また、堀川の息子良平が徴兵検査に合格したと聞き、教え子たちが祝盃をあげる。
*これらのシーンも戦時下の時勢を反映しているが検閲の対象外か。

宴たけなわの頃、堀川が教え子たちに、
「君たちは結婚はしたかね?」
と訊くと全員手を挙げる。続いて、
「子どもは出来たかね?
何人かな?
一人の者、二人、さすがに三人はおらんか。」
「先生、僕のところは四人です。」
という、やりとりは微笑ましくもあり、次のシーンの伏線ともなっているが、現在、とは言っても最近10年ほどでコンプラ的にアウトになった、あり得ない場面ではある。

家に帰った堀川は、良助に、そろそろ結婚は考えないのかと訊くが、オクテの息子はもじもじするばかり。
平田先生の娘さんがいい子だ、どうか、
と言うと、お父さんに任せます、の返事。

ほろ酔い気分で、すっかり上機嫌の堀川。
よろけたかと思うと、倒れる。
お父さん!

病院のベッド。
虫の息で、私は幸せだった、いい気持ちだ、
と呟くように言うと、良助らが見守るなか、静かに息を引き取った。



***
いくつかのシーンが、軍国色があるという理由でGHQの検閲でカットされたとは言うものの、それらは僅かであり、また復元版を観ても、戦意高揚のためではなく、笠智衆演ずる父親の息子を思う気持ちや同窓会での余興のためのものである。

佐野周二が『会議は踊る』(1931年)劇中の歌「ただ一度だけ」のメロディを口笛で吹くシーンがある。まぁ、オーストリア映画なので、当時も同盟国だが、戦中にあっても欧米かぶれのモボぶりを隠さないのは流石である。

とにかく笠智衆のシングルファーザーぶりが甲斐甲斐しく、情愛にあふれ、清廉潔白な人柄にも関わらず、酒に歌に温泉にと人生を楽しむことを忘れない。

どこから見ても、また21世紀の現在から見たとしても、理想的な父親像だ。
佐野周二ならずとも、離れて暮らすのが寂しくなりそうで、たまらなくなる。

そう、父子の話ではあるが、あくまで主役は笠智衆で、佐野周二は常にウケの芝居に徹している。

最後は、笠智衆の臨終で幕を引くが、寂しさと多幸感がないまぜになった鑑賞後感が押し寄せる。

絵作りも、全編、高密度で、完成度が異常なほど高い。

父子が温泉で語り合うシーン。
続いて無人の浴室が映される。
無人の温泉の湯気のゆらめきが画面を彩る。
モノクロなのに。

物づくしは、
序盤の箱根で2カット、信州の寺で1カットの
五輪塔づくし
と、終盤の
帽子づくし
が印象的だった。

金沢、東京、鎌倉、箱根、信州と全国各地を丁寧にロケしていることも驚きだ。戦中なのだから。
それに、各地の方言も、それぞれ忠実に再現されている(金沢弁、信州弁、秋田弁には疎いので正確性は判断できないが)。

戦時中にあっても、日本人がいかに豊かな心を保っていたか、日本にはどれほど美しい風物が各地にあるか、それを小津は本作で精一杯伝えたかったのかも知れない。

とにかく名作です。

《参考》
小津安二郎生誕120年記念
第80回ヴェネチア国際映画祭『父ありき 4Kデジタル修復版』 ワールドプレミア上映レポート
松竹 CINEMA CLASSICS 2023.9.7
www.cinemaclassics.jp/news/3500/

【NHK】小津安二郎監督の名作「父ありき」、検閲前の完全版復活の取り組みが紹介されました
IMAGICA 2023.7.28
www.imagica-ems.co.jp/publisties/nhk-230728/

生誕120年
没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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