くりふ

八月の鯨のくりふのレビュー・感想・評価

八月の鯨(1987年製作の映画)
4.0
【龍涎香を夢見て眠る】

未見でしたがフィルムに期待し、久しぶりに岩波ホールへ。正解。

老いを見つめる題材からも、ニュープリントでも古びたフィルムの質感が嵌って特に、褪せたような空と海の青が柔らかで素晴らしかった。

全般、色では青が効いていますね。八鯨ブルー、と言いたいくらい(笑)。そして、とにかく映画の時間そのものに魅入られる作品でした。

残された時間を愛でる。そして老いることを慈しむ。つまり人生を肯定する。…体を動かすだけでひと仕事であっても。大仰ですが、そんなことがじわりじわりと心に染み入りました。

さらに本作は、人生を演じてきたスターへの讃歌でもありますね。

北米の最東北部、メイン州のとある島、海辺の小さな家が舞台。八月といっても涼しいのでしょうね。空気が静かに澄んでいます。冒頭、鯨が来た!と岬へ走る、若き日の姉妹が後でとても意味を持つ。Hurry!と急かす声の響きがとてもよくて。

そして軽やかで白い足元。時は流れても老いた姉妹は同じ家で暮らし、やはり鯨が来るのを待つ。岬に向かう足取りは何倍も遅く、日差しが堪えるから麦藁帽も必須。毎年、紫陽花は変わらずに咲きほこっても、添える手には深い皺。

人生が閉じることがもう秒読みとわかっていても、もっと光を、と家に大きな窓を開けることを望み、岬に龍涎香が流れ着かないかしら?と諦めかけた夢もそっと呟く。

今年、鯨は来る?来ない?…でも、鯨だって老いるはずだ…。

姉は、老いて視覚を失い、心がじょじょに、歪になっている。心の感度が鋭いゆえ、それを守ろうとしているようにも映ります。演じるベティ・デイビスのけなげな虚栄が、微笑ましくも哀しい。(「ベティ・デイビスの瞳」が光を失くしてしまった!)

実際はずいぶん年上のリリアン・ギッシュが妹を演じ、でもごく自然。永遠の少女だった瞳が、深い皺に囲まれてもいま、変わらずに煌めく。

夫を失くすことで、かえって少女に戻ったとも見える老女たち。色は変わったが、姉の白い髪は豊かにあふれ、梳かれて流れる。

家に現れる、やはり老いた男は粗暴な少年タイプと、ダンディな紳士。恋を語ってもおかしくないかもしれない。…でもやっぱり、ねえ(笑)。

フィルムに流れる時間に身を委ね、細部に籠る想いを拾ってゆく。そして自分自身も、先の閉じ方を心に想う、そんな映画、でしょうか。

公開当時、淀川長治さんは絶賛したそうです。パンフの寄稿文に、その想いが溢れに溢れているので(笑)、その一部を紹介させていただいて、終わりたいと思います。

「いつとりだそうともその香り失せなく,バラの花を小説のページの中に押し花として2年,3年,10年とそのバラのひからびた花びらからまだ残り香のそれは “追憶”という名の宝石となって手にとりあげるよう,この『八月の鯨』はすばらしい香りに包まれ美しい色にいろどられ人生の思い出としてレースのように手でさわらせる。」

<2013.4.15記>
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