約20年続いた黒澤&三船の邦画史上最強タッグ。「黒澤ヒューマニズム」と言われた王道を往く作風。東宝&自己プロダクションによる製作体制。本作はそれらの最後を飾る作品だ。
三十郎と権藤社長『天国と地獄』に自己を投影した黒澤明。今回もまた三船が演じる「赤ひげ」こと新出に投影かと思ったら、ちょっと勝手が違った。
冒頭、いつものように堂々とした「監督 黒澤明」のクレジット。その縦書の文字に重ねられるファーストショットは若医者・保本(加山雄三)の背中だ。もしや今回の投影先はこの若医者なの?と匂わせる。保本の両親は笠智衆と田中絹代。ほんの数シーンのためにこんな名優を配したのは、それぞれ小津安二郎と溝口健二という「先輩監督への敬意」と黒澤は語る。え、そんな謙虚な人だっけ?
トップクレジットである三船(新出)は保本のメンターとして「貧困と無学」を嘆くのだが、どこか自分の力の及ぶ限界を知り達観している人物に見える。つまり本作は一つの(黒澤明が「天皇」でいられた)時代の終りであると同時に、新しい目標に向かって初心に返った。そんな印象を受けたかな。
休憩後の物語を牽引するのは二人の医者ではなく「おとよ」という貧しい少女だ。彼女の狂気を宿した眼の光、回復過程を見せる細かい演出、自分より貧しい男児との交流は哀切極まる。ここまで弱者に寄り添った視点はこれまでの黒澤作品にはなかったと思う。
幕府登用の話を断り、新出に随行する保本の背中で映画は終わる。冒頭と円環構造を成すそれは、やはり本作の主人公は保本である(少なくとも新出ではない)ことを示す。同時にまた三船敏郎という不世出のキャラクターには頼らない、という黒澤明の決意も伺える。