ガリガリ亭カリカリ

ビッグ・フィッシュのガリガリ亭カリカリのレビュー・感想・評価

ビッグ・フィッシュ(2003年製作の映画)
3.9
ティム・バートン大好き人間としては「ついにバートンがお父ちゃんと和解できた……」という作家の自己実現に対する感動と、嘘の"本当らしさ"みたいな、フィクションの尊さを訴えかけるアティテュードにはグッとくるのだけれど、如何せん、身体に悪いものは全て取り除かれているかのような殺菌消毒感というか、いい話ウォッシュされまくっている雰囲気への静かなる拒否反応がある……
脚本が良いとも全く思えないし……
これは『フォレスト・ガンプ』などにも感じた退屈さだけれど、決して欺瞞とまでは言わない。ことバートンに於いては、それまでの作家性から"成長"したことによって、"不在の映画"に導かれる形で『ビッグ・フィッシュ』が出現したように感じる。そして、その不在の映画が存在したとき、やはりこの映画はあなたにとっては"不在"のものだったのでは、という穏やかな疑念が生じてしまう。不在だった映画が存在すること自体の是非は問わない。しかし、不在の映画が本質的に備えている"どこにもいない"というアイデンティティに対しては、その作家のファンであればあるほど乖離していく傾向にあると感じる。

結局、ホラ吹きお父ちゃんのホラはホラであるけれど、お父ちゃん本人にとってはホラでも何でもなく"真実"であるということ。お父ちゃんのホラを息子が"継承する"という流れの美しさは、そのホラ再現映像のフェリーニ感も相まって流石に泣ける。
ティム・バートンの実の父親は元マイナーリーグの野球選手だった。キャッチボールするぞ!と誘う父親と、陽の光なんか大嫌いでドラキュラ伯爵のように自室に引きこもってホラー映画ばかり観ていた息子。そこにシンパシーを感じざるを得ない観客は自分だけではないはずだが、バートンは父親の死に際に接して和解に至ったという。曰く、全くそんな記憶は忘れていたらしいが、幼い頃に父親がドラキュラや狼男の真似をして自分と遊んでくれていて、そのことがきっかけでホラー映画に夢中になったそうな。つまり、自分のアイデンティティの形成には、モンスターの真似をして遊んでくれた父親の影響が少なからずあったということ。そのことをやっと思い出して、自分の中に父親が"継承"されていることを感じたという。

『ビッグ・フィッシュ』は、そんなバートン=主人公自身も子どもができて父親になるタイミングで、父親の死を通してその影響に気付き和解に至るという私小説的な作品だ。この映画は彼のフィルモグラフィにおいて"不在"の映画ではあったものの、それを撮らずにはいられなかったという衝動と誠意を理解することはできる。

かつての自身の集大成であり、自己投影の完成形でもあった『シザーハンズ』の主人公と同じ名前を『ビッグ・フィッシュ』の父親に付与したという点に、バートンなりのやさしさを感じざるを得ない。

架空の街「スペクター」の人たちが全員ニコニコ笑顔で、すわ『2000人の狂人』のような雰囲気でユアン・マクレガーを血祭りにあげるのではないかという不穏さに満ちている。そこで登場する美少女は、明らかに『世にも怪奇な物語』の一編、フェリーニの『悪魔の首飾り』の少女のオマージュにしか見えなくて怖い。

人力時間停止シーンそれ自体に目新しさは感じないけれど、宙で停止しているポップコーンを手でよけるのが超いい。