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ベロニカは死ぬことにしたのbluetokyoのレビュー・感想・評価

ベロニカは死ぬことにした(2005年製作の映画)
1.8
これは、いわゆる失敗作なのだろうか。原作がどうなっているのかわからないものの、映画を見ただけだと、趣旨はなんとなくわかる。わかるものの、この映画を見る人は、なにか得るものはあるのだろうか。あるいは、ある世界観を見い出しうるものなのか。というか、主人公のヌードオナニーシーンがあるわけだが、もちろん、エロがテーマではないので、少しもエロくはない。では、必然性のないヌードオナニーシーンをなぜ入れたのか。どう考えても、客寄せのためである。もちろん、客が入るか入らないかは、映画が成功しているか失敗しているかと、直結しているわけではないが、少なくとも、製作サイドでは、これは、ちょっと、失敗したかな、という自覚はあったはずだ。

主人公は、図書館司書かなんかをしているトワという女性。カツラをかぶって変装して夜遊びをしたりするが、人生に満たされぬものがあり、ついに、睡眠薬自殺をする。
睡眠ということは、映画全体が夢オチであるということでもあるわけだ。

トワは、一命をとりとめた。だが、なぜか、山の中の奇妙な、というか、遊園地のような、おとぎの国のような、精神病院へ入れられる。

映画世界が、トワのイマジナリーだとすれば、この精神病院は明らかにおかしいのだ。なぜなら、トワは、成人女性だし、図書館司書として書籍に親しんでいるとすれば、精神病院がどんなところか知っているはずなのだ。
なぜ、このようなおとぎの国みたいな精神病院になったのか、理由は二つ考えられる。一つは、トワの精神の不調は、幼少のころに母親からピアノのレッスンを強要されたからである。幼少のころの記憶であるから、おとぎの国なのだ。もっとも、これは言い訳に過ぎないと思える。
もう一つの理由は、単純に、本物の精神病院を描写するのは、いろいろと差し障りがあるからである。

原作にも、遊園地のような精神病院だったとか、おとぎの国のような精神病院だった、みたいな描写は、ないと思うんだけどな。読んでないからわからんけど。

そういうわけで、そのあと、設定は精神病院だけど、ほんとうは、精神病院じゃないですよー、おとぎの国ですよー、という演出が、うるさいほど続いていくわけである。
もう、この時点で、失敗作確定だ。

で、最後は、ボーイミーツガールである。出だしは、人生の深淵に至るような重い感じなのに、終りは、恋バナオチかよ。
もっとも、途中で、頓挫してしまっているので、終わりはそうなるしかないかな。

精神病院という設定を変更すればよかったと思える。
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