このレビューはネタバレを含みます
物語はときに
何を話すかよりも誰が話すかが重要だ。
「私サイドのストーリーを話すときがきた」というセリフで始まるストーリーは
そのほとんどがエドガーの視点で語られる。
でも最後、
エドガーが亡くなるとカメラは初めて
高い位置から部屋の俯瞰を映す。
神視点に移行する。
それ以降に映されることはすべて
「(映画内)事実」。
歴史的な事実とは区別されるけれど、
この映画のなかでは事実だ。
だとしたら
最後に読まれたあのラブレターは
エドガーが母や世間の抑圧で
隠し続けた真実の想いだということができる。
エドガーはヘレンに言う。
「どんな抑圧にも屈せずファイルを隠し通せるか」と。
ヘレンはイエスと答えたが
ファイルは最後の最後、抑圧に耐えきれなくなったエドガーによって
トルソンの手に渡る。
この映画のなかではじめて
エドガーが抑圧に屈した瞬間であり
解放された瞬間だと思う。
ファイルによって秘密によって
苦しめられ後ろめたく感じていたのは
誰よりもエドガー自身かもしれない。