すずす

私が棄てた女のすずすのネタバレレビュー・内容・結末

私が棄てた女(1969年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

遠藤周作の小説を、寡作の名匠・浦山桐郎監督が大胆に映画化。同原作から熊井啓監督が『愛する』の名で映画化しています。

以下は物語。

自動車会社で働くサラリーマンの吉岡は、重役の娘マリと付き合いながら、営業成績を上げるのに四苦八苦している。接待でいった店で女と一夜を共にするが、その女にミツに渡す金をくれと云われる。
1961年、吉岡が未だ大学生の頃、彼は雑誌の投稿欄で女性と待ち合わせ、ミツと出逢い、付き合い始める、そして、すぐに肉体関係を持つが、卒業が迫り、彼はミツを棄てた。
現代、マリ子とのドライブ途中、吉岡はミツを見つける。葉山の別荘、吉岡はマリ子の親族の集まりで、酔ってくだをまく。吉岡に過去は問わないと云う大人で、二人は結婚する。
ミツはヤクザな女から金を借り吉岡の子供を堕胎する。自暴自棄になり自殺を考えた時、自分と似た老婆に出逢い、後を追う。老婆は息子と揉め喧嘩が絶えず、ミツの仲介で老人センターに入所、ミツもそこで働きはじめる。息子の森田はミツに好意を寄せているがうまく表現できない。
しかし、ヤクザは吉岡を恐喝しようと、ミツと吉岡を逢引きさせ、その模様を写真に収める。脅迫状めいた手紙を受け取った妻マリ子はミツの老人センターで金を置いて帰る。脅迫を知ったミツは、ヤクザの元へ行き、喧嘩になり二階から落下し死亡する。葬式が終わった後、喧嘩になる吉岡とマリ子。吉岡は能面に見つめられ、不思議な夢を見る。学生に運動に破れた男や女が倒れた町を機動隊が蹂躙し、機動隊は不気味な暗黒集団になって吉岡を包囲する。落下する吉岡。
マリ子の懐妊が知らされる。
マリがアイロン掛けをする横で、吉岡と森田が将棋を指している。それを能面が見つめている―――――

家に飾られた能面が、事なかれ主義の日本人の象徴かのように置かれ、夢の場面でのショッカーのような集団も大胆で良いのですが、方向性がズレてしまった気がしてなりません。
学生運動に破れた世代のもどかしさは判るとしても、ドラマ的には警察によるヤクザ摘発とかマリ子も老人問題に取り組み始めるとか、前向きな回答を期待してしまいます。

遠藤周作の小説はハンセン病を描いていましたが、その骨格をもぎ取った映画化には事情はどうあれ、疑問符ですし、相馬盆唄や祭りの合戦も不要な気がしてなりません。

キネマ旬報の年間2位はお蔵入りの騒動があり、判官びいき票が集中した為でしょうか?
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