凛太朗

イントレランスの凛太朗のレビュー・感想・評価

イントレランス(1916年製作の映画)
3.7
今から100年以上前のD.W.グリフィスによる超大作。
イントレランスとは不寛容という意味で、現代が舞台のアメリカ編、キリストの受難を描くユダヤ編、ペルシャによって滅ぼされる古代バビロンを描くバビロン編、聖バルテルミーの虐殺を描くフランス編の、異なる時代、異なる場所での4つのエピソードを、『不寛容』という一つのテーマを軸にロマンスやサスペンスを交えて並列的に描いた映画。

今となっては映画の技法も発達して、異なる時代を一つの作品で表現することなんて当たり前みたいなことですが、100年前のそれほど編集技術もなかった時代にこれをやってるのは単純に凄いことで、グリフィスの前作『國民の創生』の人種差別的な内容は置いといて、クロスカッティングやカットバックによるモンタージュ手法やクローズアップなどの斬新で画期的なアイデアの数々を駆使して映画を製作し続けたのがグリフィスなんですね。それ故、映画の父なんて呼ばれたりもしますが、だからと言って今の時代でも鑑賞に耐えうる作品なのか?となると、この『イントレランス』は、十分に耐えうるんじゃねーか?と思います。が、3時間くらいあったりと長かったり、サイレント映画であったりするので、観るのしんどい!って人もいっぱいいるでしょう。

イントレランスとは不寛容の意ですが、そもそも不寛容とはなんぞや?と。
心がせまく、人の言動を受け入れないこと。他の罪や欠点などをきびしくとがめだてすること。また、そのさま。
とのことですが、この映画『イントレランス』における不寛容を理解するためには、まず歴史なり宗教観なりをある程度理解しておかないと、現代パートの道徳観念以外は難しく感じるところがあるかもしれません。
現代パートの事の発端における不寛容も含めて、その不寛容は過去の不寛容からなる歴史として紡がれた、負の連鎖なんだと私は思いますね。だからと言ってその不寛容は許されることじゃないと思うよ。と思う私もやはり不寛容。
そもそもこの映画は『國民の創生』を人種差別的と見た人々に対するグリフィスによるカウンターなのかもしれませんね。

特にバビロンのセットと、全体的に観てもエキストラの数がとんでもないし、美術も衣装も凝りまくってます。当時としては膨大な予算が組まれた映画で、バビロンのセットを解体する費用も賄えない程度には大コケしたらしいけど、今同じような規模の予算で同じくらいエキストラ使ってCGなどに頼らず映画作ったらどうなるんだろう?

4つのエピソードを繋ぐ役目を持つ揺かごを揺らす女を演じるサイレント時代の名女優リリアン・ギッシュの佇まいが凄く印象的。
この役柄は寛容の象徴で、聖母マリアをイメージしているらしい。
凛太朗

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