排路

渇望の排路のレビュー・感想・評価

渇望(1949年製作の映画)
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人から人への焦点の移り変わりとクロースアップの移り変わりが単一的な語りを解体してゆく。中絶させた男の家には新聞がすでに配達されているが、2番目の男はわざわざ新聞屋さんを呼ばなきゃいけなかったり、ベッドの上で展開するシーンが反復したり、ここに登場する人間たちはそういう構造に組み込まれてると思わせる。そしてなんといっても、人物の心象を表す物語外の音は、『赤い砂漠』のモニカ・ヴィッティの人物造形の仕方と同じだった。病室の瓶も異なる視点から2回映し出されるし、自由間接主観ショットをやってて、興味深い。そもそも全編にわたって作家の視点と作中人物の視点が相互に浸透しあってる。だとしたら、汽車の音という物語内に音源があるあのショットはどう捉えたらいんだろう。警官がバイクで登場するのは、この数奇な運命にある男が最終的に法律違反で逮捕されて終わりなのか(それでいいのか!)と誤読させる。あとストックホルムによろしく!とイタリアによろしく!のツーショットの切り返しが異様に美しく感じたんだけど、それはなんでなんだろう。
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