2回目の鑑賞。
昔「生きているユダ」を読んでからゾルゲ事件には関心を持っており、今回も興味深く観た。ただ、前回は鑑賞後、拷問や処刑、網走監獄で獄死し坐棺に入れられた遺体などショッキングなシーンが強く印象に残ったのに対し、今回は変なモヤモヤが後味として残った。
このモヤモヤの正体を考えてみたら、ひとつには登場するどの人物にも心を寄せることができなかったということ、もうひとつは、最期に「国際共産主義万歳」という言葉を遺しコミュニズムに殉じたゾルゲの行動が、ラストシーン(ベルリンの壁崩壊の映像)によって”徒労”であったように感じられたこと…のようだ。
で、映画のパンフレットをひっぱり出して読んでみた。本木さんの言葉「監督曰く、この作品の主役は”時代を通過していく時間”です。あえて人物の感情を追わないそのスタイルを新鮮に思いながらも、(略)」で、私が映画に無意識に求めていたものと、この映画が描こうとしているものが違っていたのだとわかった。
最後に流れた「イマジン」は、なんだか唐突な感じがした。でも作品で描かれた時代から現代、そして未来へと流れていく”時”に思いをはせるとき、”すべての人間が平和に暮らしている姿”を夢想したくなるというのはわかる気がする。