大道幸之丞

いま、会いにゆきますの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

いま、会いにゆきます(2004年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

2020年9月以降にこの作品を観ることは決してフラットな鑑賞にならないのではないか。私もそうで、病気で亡くなる澪役の竹内結子は1年後の雨季に帰ってくるどころか二度と還らない故人であって、演じる横顔にふとその現実が湧き上がるともう普通に観ることが出来ない。

さて、感じたのは本作は原作ありの映像化だが、脚本の詰めが甘いのではないか。あるいは演出か。正直中村獅童の演技は良くない。というよりキャスティングでもっと最適な俳優がいたのではないかとすら思える。不自然な目の動きや表情が引っかかって気になるのだ。

ストーリーでも出会った経緯を記憶喪失状態の澪に語るのだが、彼女自身が焦れるほど話は長い。澪側の日記からの“答え合わせ”前にしても凍える手を自分のコートのポケットを提供した上で自身の掌をその上から差し入れる描写は共感出来ない。それと巧の脚の病状がアバウトな説明過ぎる。具体的な実際の症状名があればそれも知りたいところだ。これは随所に脚が不自由である描写が挿入されるので、致命的なものかも含めて気になる。

澪が永瀬を呼び出す場面もなにか不必要にギクシャクしており、絵が収まっていない。

また、“野暮”といわれようが、澪が事故で入院して8年後にワープしたこと。その上で1年後には戻ってるこれらのメカニズムはもっと合理的に説明がつかなかったのか。なぜかと言えば“1度しか戻ってこれない”理由も気になってしまうから。何度も戻れるその希望があるかないかで物語は大きく変わる。澪が書いた絵本のとおりになっているだけ——ではなんら納得しようがない。

小説界ではこれを“作者都合”と呼び“夢オチ”同様ご法度だが、これを犯してしまっている気がする。たとえSFでも心霊ものでも合理性は求められる。
原作もこれから読むがこれらの合理性に欠けた構成は身を委ねて作品世界に浸ることが出来ない意味では大きな欠陥だと思う。

しっかり泣けたがそれ以外に素朴に引っかかりが多すぎた気がする。