映画の母?
人も映画も段々と年をとっていくもの。
人が年齢と共に少なからずの成長を経験するように、
映画も徐々に進化していく。
その過程をみるのはとても楽しいもの。
この映画もそんな軌跡の一員なんだと思います。
1895年に映画が誕生してから19年目。
成人一歩手前の1914年に、
イタリアで作られたサイレント映画。
古代ローマの歴史を下地に、
家族と離散した少女カビリアが辿る数奇な運命を描いた大河ドラマ。
映画の文法を作り上げたとされるD·W·グリフィスが、この映画に触発されて『イントレランス』を製作したと言われ、
まさに本作は映画という今世紀最大の娯楽が"大人"に移り変わるための通過儀礼的な作品のような感じがしてしまう。
まず驚くべきは豪華なセットに絢爛な衣装。
エトナ山の噴火にハンニバルのアルプス越え、シラクサ攻防戦といった歴史的名場面に確かなリアリティーがあったのは、本気のセットとマジな衣装あってのもの。
過去にタイムスリップしたと演者が錯覚してしまっても不思議ではないと思います。
場面がローマにカルタゴと目まぐるしく移り変わる、そんな複雑な二段構成を構文とし、
その上でカメラ移動による動的な表現や長回しのような計算ずくの表現などの文法を駆使して物語を流暢に語ってみせる。
まだまだ生まれたてという拙さはあったけれど、
映画表現のスタンダードとなりえる方法論をこの時代に早くも獲得している所は純粋に驚くべき点。
ただ、やはり『イントレランス』と比べてみると映画としての叙情性や芸術性に若干欠けていて、
まだまだ演劇の束縛から完全には逃れきれていないようにも見えてしまう。
それでも、この偉大なイタリアの史劇は間違いなくグリフィス以降に連なる映画のプロトタイプだったんだろう。
現代のスペクタクル映画やブロックバスタームービーは遡ればこの『カビリア』に行き着くと言っても過言ではない気がする。
こんな極論が通用してしまう程に、
この作品には若々しい熱量が溢れていました。
そりゃ、19才だもん。
若さゆえの野心的なバイタリティーが、人にだけではなくて映画にも備わっていたんだな。
機は熟した。
グリフィスがこう言ったかどうかは分からないけれど、
彼が「映画の父」ならば
『カビリア』を作ったジョヴァンニ・パストローネは「映画の母」と呼んでもいいんじゃないのかな。
うん、本当にすごい作品でした。
ちなみに19才の僕。
ただただ青かった。
お恥ずかしい限り。