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ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記の都部のレビュー・感想・評価

3.2
本作は藤子・F・不二雄の遺作であり、物語の執筆途上で作者が逝去している為に、完成の為のスタッフによる四苦八苦の跡が見られる。

序盤は生命のねじ巻きにより生命を与えられた動物達によるねじ巻き都市を取り巻く物語が展開されるような兆しを見せるが、中盤から暫くはねじ巻き都市の物語は放置され、敵役 熊虎鬼五郎との対立ばかりが物語上で取り上げられる。この明らかな物語のちぐはぐさが当時の制作陣への同情を誘うが、作品自体はそれなりに面白い物にはなっている。

ドラえもん映画のメイン層である子供にも悪だと分かるようにと、前科百犯なる規格外の設定を付与された悪党が作品を通しての悪を張るのは異例だが、このある種の格落ち/異物感をクローンの大量生成という形で乗り切るエンタメ的な判断が凄まじい。これによって洒落にならない悪党に愛嬌が生まれ、ホクロなる善心の象徴がのび太達に働きを掛けるというのも愉快だ。その末路には理屈面で賛否があるが、他の映画の悪党には見られないタイプの魅力を終始発揮していたのは事実である。

それと比較すると表題のねじ巻き都市の魅力は皆無に等しく、知性を得たことで国家として確立していく姿が度々挿入されるが、それは表面的な描写に終始している。人間の正/負の歴史を彼等もまた繰り返す姿という形を取れば命題の確保は出来たかもしれないが、作品の核は既にそこにはなく、巻き込まれの被害者以上の立場を得られずに物語が完結するのはやはり不服を禁じ得ない。

物語はのび太と他の一同の離別から尻上がりに愉快さを増していくが、星の造り手として登場する神は手軽に文明社会への批評性を獲得する為の台詞を語る便利な存在として扱われすぎで、それまでの作品に見られた命題の丹寧な見せ方が出来ているようには思えないのが残念である。
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