クシーくん

生きてこそのクシーくんのレビュー・感想・評価

生きてこそ(1993年製作の映画)
5.0
1972年10月13日、乗員乗客合わせて45名を乗せたウルグアイ空軍機571便がアルゼンチン・メンドーサからチリ・サンティアゴへ飛び立った。高く険しいアンデス山脈を越えて直接サンティアゴには向かえないため、アンデスに沿って標高の低い切れ目までメンドーサを南下した後、切れ目を抜け、然る後北上して空港に向かう予定だった。

当日は悪天候で上空は厚い雲に覆われていたため、航空管制指示の元操行していたパイロットは、山脈の切れ目を超えたチリ側、即ちコースを北上に変更する地点であるクリコ上空を通過したと伝えた。しかしこれが致命的な誤りだった。強い向かい風に機体が煽られ減速していたため、アンデス山脈の切れ目を抜けきる前に北上し、到着地点に備えて高度を下げてしまったのだ。雲に覆われた先にあったのは険しいアンデスの山々。

機体は峰に衝突した。通常、飛行機が山にまともに激突した場合、機体は瞬間的にバラバラになり、殆どの場合ほぼ全員即死は免れない。だがここで奇跡が起きた。衝突の影響で左右両翼と尾翼を失い胴体のみとなった機体は地面に墜落し、雪の積もった崖をしばらく滑落した後、止まったのだ。深く、柔らかい雪がクッションとなり、機体から放り出されるなどで即死した者を除けば28名はまだ生きていた。

以上が実際に起こったウルグアイ空軍機571便墜落事故の経緯だ。墜落事故の一連を描いたシークエンスは悲惨さとショックを描いた映像としては他に類を見ない凄まじい出来栄えだ。しかし、生存者にとってはこの後が本当の地獄の始まりだった。本作は有史以来最も悲惨な生存の一つを描いた作品である。

ミニョネット号事件、ドナー隊遭難、ひかりごけ事件等々、遭難事故において緊急措置として行われる食人は歴史上枚挙に暇がない。記録に残っていないだけで、太古の昔飢えた人類は同胞の肉で糊口を凌いだことだろう。理論上人間が堪えうる絶食期間は2〜3ヶ月らしいが、それは極めて好条件の場合で、実際の所2、3日何か食べないだけでも健全な成人なら耐え難い空腹を感じる。ましてや重傷多数、極寒のアンデス山脈に放り出された彼らの絶望、苦しみは想像を絶する。

乗客の殆どが敬虔なカトリック校の学生ばかりだったこともあり、寒さと飢えに震えながら皆神に祈る。遭難さえしていなければ、絶景の美を湛えるアンデスも、今自分達に降りかかっている苦難も全て神の御業であると強く感じながらそれでも祈る。祈ることの意味を改めて問われる。

実際にアンデス山脈でロケが行われ、生存者をアドバイザーに迎えて制作されただけに、非常に実感の籠った作りになっている。
「たとえ死ぬとしても、歩きながら死のう」
これほどの悲惨な死と絶望を味わってもなお生への希望を失わないナンドの言葉がどれほど頼もしいことか。取り扱う題材とは裏腹に作品全体には生きることへの肯定、生の讃歌が通底している。

個人的に少し残念だったのは救助を求めに下山したパラードとカネッサが出会った牧童セルヒオ・カタランのくだりがカットされている。あくまでも生存者が主人公なので彼らがどういう風に救助されたの過程は冗長であると映画的に判断されたのだろう。

映画は救助を今かと待ち受ける生存者達が上空を飛ぶヘリコプターの音を聞き歓喜に咽ぶ所で終わる。その後彼らを待ち受ける世間の好奇や非難の眼差しがあったことは敢えて提示しない。重ねて言うがこれは生の讃歌であり、生きることを選んだ人々の覚悟の物語なのだ。
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