蛸

見えない恐怖の蛸のレビュー・感想・評価

見えない恐怖(1971年製作の映画)
4.1
盲目の主人公を演じるミア・ファローがひたすら酷い目に遭い続けるという点で『ローズマリーの赤ちゃん』と同じタイプの映画だと思いました。(ヒッチコック的な、美人を酷い目に遭わせて喜ぶサディスティックな映画です。)

オープニングから一貫して、犯人はその(特徴的な星印を持った)ブーツを映したショットによって表現されます。否が応でも足音が強調されるショットはその非視覚的な(犯人の顔は見えないので)特徴ゆえに、盲目の主人公に災いをもたらすことになるものの象徴として機能しているようです。
犯人の足元を映したショット以外でもこの映画はローアングルのショットを多用していて、それは事件現場の痕跡を示唆するために使われています。事件現場の痕跡は観客には見えるものですが、盲目の主人公には気づかれないものです。この観客と主人公の視覚的なギャップを活かした演出、もっと言えば盲目故の危なっかしさが(特に中盤の)サスペンスを持続させます。さらにいうと不安定なカメラワークも不穏な雰囲気を醸し出すのに一役買っています。
事件の痕跡が初めて観客に提示される瞬間はサプライズですが、主人公がそれに気付くまではサスペンスです。ジワジワと(主人公がその向こうに消えてしまった)扉に躙り寄るカメラ、その扉の向こうのバスルームで主人公は死体を発見します。主人公が異変に気付いてからの荒々しいカメラワークが彼女の心情を表現します。そして、冒頭で久しぶりに屋敷にやってきた主人公に投げかけられる「前と同じままよ」というセリフが皮肉な効果を上げることになります。
バスルームの中で起こる出来事は『サイコ』を彷彿とさせますが、こちらの方がより生々しいです(特に排水口の演出など)(盲目のはずの主人公の主観ショットが挿入されているのも興味深かったです)。
頻繁に挿入される落ち葉が吹き荒ぶショットも寂寥感と主人公の孤独感を際立たせるのに効果的です。ラストにおいて柵の外から事件の終焉を見守る野次馬たちは、この映画を見ている観客とパラレルな存在のように思えました。

盲目の主人公は見返すことなく見られる存在です。それは見る主体としての男性の視線に晒されてきた、見られる対象とされてきた女性一般を象徴しているかのようです。
結末に至っても主人公の(自分自身による直接的な)男性への逆襲には至らない脚本は、おそらくこの作品がリメイクされるにあたっては書き直されてしまうものなのでしょう。しかし徹底的に主人公が視線という暴力に晒される無力な存在であることがこの映画を、サディスティックなまなざしを反映した変態的な映画にしており、その意味でこの映画は怪作なのです。
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