Cerro

灰とダイヤモンドのCerroのレビュー・感想・評価

灰とダイヤモンド(1957年製作の映画)
5.0
「松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失われるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深淵に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを
(身を焼き焦がしている君にはわかっていない
君は自由になっていくのかを
君のものが失われる定めにあるのかどうかを
残るは灰と、嵐とともに深淵に落ちてゆく混迷なのかを 
永遠の勝利のあかつきに、灰の底に燦然たるダイヤモンドが残るのかを)」
ツィプリアン・カミル・ノルヴィト

灰とダイヤモンドは、愛国的反共主義者(国内軍)の残党のゲリラ兵マチェクが親ソ的共産主義者(人民軍)のポーランド労働者党書記シチューカを殺す物語です。この作品名は後期ロマン主義詩人ノルヴィトの詩から採られています。この詩は、「君」に四つの問いを投げかけ、その答えを「君はわかっていない」と言っています。君とはつまり、マチェクのような愛国運動の戦士たちです。ノルヴィトはこの詩で、戦いの後に残るのは灰かダイヤモンドかと問いかけているのに対して、ワイダは、灰とダイヤモンドを同等に扱っています。戦士たちの遺骸か燃え尽きることのない祖国復興の礎になるような価値のどちらかが残るということではない。灰になるべき敗北者の中にも光を散りばめるダイヤモンドが隠れているかもしれない。廃墟となった教会でこの詩を見つけたマチェクは先の読めなくなった部分を連れのクリスティーナに向けて暗唱をします。マチェクはクリスティーナをダイヤモンドに喩えて愛を伝えます。そんな風な詩的政治的暗喩表現に満ちた作品です。
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