『高校大パニック』のCMがテレビでガンガン流れていた頃、石井岳龍ではなく、石井聰亙はスターだった。映画に興味を持つ若者たちは、みな助監督経験なく自主映画の世界から一足飛びに商業映画へ飛び出した大林宣彦、高林陽一たちに憧れた。そして、そんな先輩たちに続いたのが、大森一樹、石井聰亙だった。
僕はまだ高校に上がったばかりで、キネマ旬報を毎回買って目を皿のようにして読んでいた。そんなキネマ旬報には毎号、試写会のお知らせがあり、あまり当たらないのだけど、気になる映画があればハガキを出していた。そして、当たったのが『狂い咲きサンダーロード』だった。
石井聰亙の新作が、公開前に見られる!興奮した僕は前日一睡もできず、当時東梅田あたりにあった東映大阪ビルの小さな試写室へ。一睡もしていなかったのに、ウトウトすることもなく、逆に興奮しながら最後まで見た。周囲にいた業界人らしい人たちは「おもしろいね」といったり「若いねえ」と言ったりしていた。
でも、僕は初めてブルース・リーを見た時のように肩で風を切りながら「俺たちに触るなよ」みたいな気持ちになって歩いた。
破壊衝動を映画にした作品はそれまでもあった。でも、それらは破壊衝動を理解しようとしたり、説明しようとしたりするものが多かった。
『狂い咲きサンダーロード』は、破壊衝動をそのまま描こうとした時点で新しかった。だからこそ、いま見ると古い。古いけれど、それこそが、石井聰亙が、石井岳龍が、常に時代の先端で尖り続けようとしている証拠なのだろう。