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ブリューゲルの動く絵のodyssのレビュー・感想・評価

ブリューゲルの動く絵(2011年製作の映画)
3.5
【円形と十字架、そして庶民】

原題は「粉屋(風車)と十字架」です。邦題は日本人に分かりやすくするためのものでしょうが、作品の内容を誤解させる危険性もないではありません。

ブリューゲルの絵画「十字架を担うキリスト」の製作をめぐる映画、と一応はなるのでしょう。しかし、ブリューゲルが生きた16世紀ヨーロッパの農民たちや子供たちの姿もそれなりに捉えられています。ブリューゲル的な構図でスクリーンが満たされているのですが、ふつうに撮影したのでは決してブリューゲル的な映像はできないそうです。ずいぶん苦心して映像を作ったようですね。詳しくはパンフに譲りますが。

私はブリューゲルに詳しいわけでは全然ないのですが、彼の絵画の目につく特徴と言ったら、人物がたくさん描きこまれているところでしょう。当時の庶民たちの姿を活写するところに彼の絵画の特徴がある、とひとまず言って間違いではないと思います。

しかし、この映画で取り上げられている「十字架を担うキリスト」は、題材からすればイエス・キリストが官憲に捕まって十字架にかけられ処刑されるというお話です。だけどブリューゲルの絵画の多くがそうであるように、画面にはたくさんの人々が描かれていて、十字架をかついだイエスは中央部分にいるのですが、まったく目立たない。また、人々の視線はひと悶着を起こした別の人物に向けられている。受難の途上にある救世主にはほとんど誰も注意していない。

「大事なものに人々は目を向けない」と、映画の中でとりあえず説明がなされています。そうなのかも知れません。しかし、だとしたらブリューゲルが(この絵画に限らず)画面にたくさんの庶民たちの姿を書き込んだのは、無知蒙昧で大事なものが見えない愚民の姿を書き残すためだった、ということになりますね。価値のないむなしいものをブリューゲルは手間ひまかけて描き続けたことになる。本当にそうなのでしょうか?

映画の終わり近くで、ブリューゲルは、大事なものに人が目を向けない例として、やはり有名な彼の絵画「イカロスの失墜」の名を挙げています。この絵画は有名なのでご存知の方も多いと思いますが、ギリシャ神話で有名なイカロスの失墜を扱っています。牢獄に閉じ込められていた父子が、蝋を用いて人工の翼を作って飛び立ち、見事牢獄から脱出したものの、息子イカロスは上昇しすぎて太陽の熱で蝋が溶けてしまい、翼が脱落して飛べなくなり海に墜落するというお話です。

ブリューゲルはこの有名な題材を扱いながら、海に墜落するイカロスは画面の隅に小さく描きこんでいるだけであり、画面の大部分は海を見下ろす丘の上で農作業にうちこむ庶民や、大海原を悠々と航海する帆船が占めているのです。大事なものに人は目を向けないから、でしょうか。そうではなく、イカロスの失墜は本人や父には悲劇であっても、他の大多数の人達にとってはどうでもいい事件に過ぎなかったからではないでしょうか。人の世の営みは、稀に生まれる救世主や卓抜した発明家によってではなく、平凡ではあるけれど孜々として営まれる日常的な仕事、そしてそういう仕事に従事する庶民たちによって支えられている、そんな感想がこの絵画を見ると出てくるのです。

「十字架を担うキリスト」も、そういう見方をすることが可能な絵画でしょう。実際、この映画の最後は救世主の死にも関わらず元気よく活動する庶民たちの姿で締めくくられています。(ちなみにこの絵の本物はウィーンの美術史美術館にあり、私も数年前にかの地に行ったとき見ているはずなんですが、どうも記憶にない。私も庶民なので大事なものには目を向けなかったからかなあ・・・〔笑〕)

なお、映画の前半でいわゆる車裂きの刑が描写されています。人を車輪にくくりつけさらし者にして処刑するやり方ですが、岩屋の上に乗っている風車(製粉のための機械)も円形の台に載っているのが、何となく共通性を感じさせました。
共通性といえば、イエスが処刑場まで自ら背負っていく十字架が、ここではT字型の、いわゆるエジプト十字架なのですね(ミステリー・ファンは、E・クイーンの作品でお馴染みでしょう)。また、風車は十字型に組んだ板を風で回すわけですが、ここにも十字があらわれている。四方が同じ長さの十字架をギリシャ十字架といいます。
円形と十字架、それが不思議と印象に残る映画でもありました。
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