ちゃんしん

復讐するは我にありのちゃんしんのネタバレレビュー・内容・結末

復讐するは我にあり(1979年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

何でもありの世界を実践。

ここまで実世界の実態に応じて、自らがその実践者として実行してしまうものは、ほとんどいないのだろうが、幼少期における強烈な経験はその精神的な成長を著しく歪めてしまうものなのだろう...。

主人公の榎津巌はキリシタンの家に生まれ、博愛や人類愛を教えられてきたはずだ。それにも関わらず、第二次世界大戦時に全ての日本人から神として崇められた天皇の命により、一家の生活の糧である船を奪われたばかりか、多くの人々が戦争に駆り出され死んでいったことを目の当たりにしているだろうし、親としてキリシタンを気取る父親は権力に逆らえずに自分の船が戦争の道具に使われることを認め、自身の信念さえも放棄してしまった。

神と崇められたものでさえも、何の躊躇すらなく他者を死に追いやる罪を犯している現実は、この少年期の主人公にとって、もはや神の存在すら信じることが出来ず、悪に抗えない多くの大人たちにより、人間というものには「悪の概念すら存在しない」ことの方が真実なのではないか?と確信させられた経験だったのかもしれない...。

現在の社会においても、巨悪が権力を握り、理不尽極まりないことが平気で行われているのが現実だ。
こんな社会は、犯罪を犯すものからみれば自分よりもっと悪い奴は沢山いるし、悪いことをする方が当たり前の社会なんだと認識されることになる。
悪が悪だと認識されない社会は、さらなる悪を作り出す...。

平気な顔で次から次へと犯罪を犯していった主人公に、悪を犯した、犯罪を犯したという意識は感じられない。
悪が当たり前になってしまった精神、悪が当たり前になってしまった社会はもはや腐敗と崩壊しかないだろう。

この作品は個人による犯罪を扱っているが、個人が集団となり、組織になれば恐ろしい社会になってしまう。
ほんとに怖い内容の作品。

悪に逆らわずそれを許す大人たち、夫婦にも関わらず自分の親に性を求める嫁、殺人犯だと知りながら、なおも関係を求める宿の女...。
全く正義を持っていると言えるものは描かれていない。

欺瞞に満ちた社会に対して鋭く警鐘を鳴らしていると思う。
悪が当たり前にならない社会であって欲しいと思うが、現実は悪が蔓延る社会。
こんな社会では、皆がおかしくなるのは当たり前で、悪に対するハードルが下がり、犯罪に対して罪悪感を持つものがどんどん少なくなってしまう...。
全ては一人一人の意識が悪を受け入れてきた結果でしかない。
もうそろそろみんなが変わらなきゃいけないときだと思う。
関係ないや見て見ぬふりや隷属は、ただ単に自分たちを苦しめることになってしまう。

悪が当たり前になった社会は恐ろしい。

作品としては、緒形拳さん、三國連太郎さん、倍賞美津子さん始め、全ての役者さんの演技が凄い...、さすがです。
良作。
ちゃんしん

ちゃんしん