このレビューはネタバレを含みます
ラースフォントリアーもこんなラストの映画作るんだなぁ。
でも、むしろこの映画に関してはそのラストが絶望に見えたから、そういう意味ではいつも通りです。
グレースが堕ちていく話。
ただ、この映画で言う堕ちるというのは、人間性を手に入れるという事。
グレースは純潔な神みたい。
でもきっとそーゆう事が言いたいんじゃなくて、むしろ神のように慈悲深く振舞うことは、偽善的で傲慢だ!
って言いたいんじゃないんかな。
だからグレースは最も傲慢だと言われていたんだと思う。グレースは神では無く人間だからね。
お前は神でも無いのに、愛だの慈悲だのと言う。
そんなのは偽善的で傲慢だ。
ってね。
この監督自体無神論者だから、絶対的な存在を認めてないだろうし。
なんでこの映画のラストがむしろ絶望的に見えたかというと、村の人々がまさに自分達と同じ「人」だから。
あっ…
この人たちは俺と同じなんだ…
って気付いて同情しかけたところで、殺されてる 笑
こんなタイプの絶望。
ラースフォントリアーすげぇなと。
そんな人達をお父さんは脅して矯正しようとするが、「理解しすぎた」グレースは、救いようが無いと、抹殺する。
でもきっとグレースが神になって、裁きとしての抹殺じゃない。
人間性を手に入れ、堕ちたグレースはエゴでもって人々を抹殺する。
それは首に鎖を付けても罰であると認めない人々、グレースのためだと言い張る人々と同じ。
人は自分を守るために、自分の欲望を満たすために生きている。
人間である前に一つの生物だから。
ということなのかな。
そこに蓋をして、見ないようにすると、現実を垣間見た時にグレースみたいな結論に至るのかもしれない。
話は人間の本性を受け入れてからだ!
っていうポジティブなメッセージを受け取ってみる。
強引かなぁ?
もう1度観てみようかな。
長いだよなぁ。
禁欲主義を理解してから観ようかな。