このレビューはネタバレを含みます
『恋する惑星』『天使の涙』に先行する恋愛群像劇。
「本当は知っている。君の名前はリーチェン。夢で会おう」「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは”1分の友達”だ。」
冒頭からレスリー・チャン演じるヨディはキザな台詞を連発する。ウォン・カーウァイ慣れしてると日常会話でこんなこと言うのは普通なのでさらっと流してしまいそうになるが、今作の場合は明確に口説く目的があるようだ。
ヨディは「脚のない鳥は死ぬまで飛び続ける」という寓話に自分を重ねており、どこかに落ち着くことを求めない生き方。そのバックボーンには、実母ではなく、金銭目当ての義母が育ての親であるという背景がある。前述の台詞で口説いたリーチェンも、彼女から結婚を打診されてから拒絶するようになる。
またそんな刹那的なヨディと対比するようにタイドという苦労人で常識人の男性キャラも登場。彼は堅実でどこか影のあるリーチェンに、シンパシーゆえに恋をするが彼女はヨディに沼っているため振られてしまう。
とまあこの通り、キャラ造形がしっかりしており行動原理が大体理解できる。一目惚れストーカー美女だったり、パイン缶で口がきけなくなって屋台をのっとるイケメンなど、エキセントリックなキャラは存在しない。そうなるとわがままなもんで、ウォン・カーウァイに最も求めている「映像の魔境感」が薄味に感じてしまう。
ところがどっこい。どことなくアメリカン・ニューシネマを思わせる終盤のヨディとタイドの電車のシーンで完全に食らってしまう。いつになくエモーショナルで素晴らしい。素直になれなかったヨディの儚さが胸を撃ちます。(今思えば、レスリー・チャンのその後も相まって)
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タイド「お前は1960年4月16日3時何をしてた?女友達(リーチェン)がよくこの質問をするんだ」
ヨディ「その女といた。肝心な事は忘れないんだ」
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90分かけて「本当は好きだった」の世界一オシャレな表現をいただきました。
ウォン・カーウァイ監督は映像作家としてだけでなく、ストーリーテラーとしてもそもそも一流だったということがよくわかる。