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バッファロー’66のhasseのレビュー・感想・評価

バッファロー’66(1998年製作の映画)
4.2
演出4
演技5
脚本4
撮影5
照明4
音楽4
音響3
インスピレーション4
好み5

○「生きていけない」(ビリー・ブラウン)

傷つき疲れはて、生きていく自信を失った男が絶望の淵から這い上がる、再生の物語。

筋立て自体は凡庸。
ヒロインが主人公にとって恋人的でも母親的でもあるご都合キャラ。
だが、なぜか愛おしく、好きになってしまう魅力をまとった作品だ。

救いようがないほどに粗暴なビリー。愛こそ知らねど力づくで欲しいものを手にいれてきたタイプ…かと思いきや、その真逆だ。高校時代、クラスのマドンナに恋するも声をかけることすらままならない内気な性格。ホテルでのレイラへの硬直した態度からして童貞の可能性すらある。
唯一の親友はグーン(間抜けの意)と呼ばれる冴えない男。(このあたりの、クラスの五軍にマウントをとる四軍のヤツみたいな、ジェラードンのコントみたいな関係性が生々しかった)
両親のビリーへの接し方も、実の息子とは思えないほど冷淡。犯罪者となった息子を憎むとかそういうレベルでなくて、まるで他人行儀で、無関心なのだ。(母親がビリーに悪びれもせず言いはなつ「あんたを産まなきゃバッファローが勝った試合を観れたのに」という台詞は心を抉られる。レイラはどんな気持ちでその言葉を受け止めたのか)

そう、ビリーには何もない。愛も力も金も、何もない。唯一の取り柄がボーリングの腕前。高校時代は女にモテたとか、エリートの職業に就いてるとか、全て自分を偽って生きている。何もない自分を全て持っているかのように見せるために。

レイラはビリーに誘拐され、いいように扱われ、ひどい言葉を投げつけられながらもビリーの心の周りに張り巡らされた鉄網を掻い潜り、荒んだ芯の部分をそっと抱き寄せる。レイラはビリーにとって、人生で初めて自分を愛してくれた人間だったのではないだろうか。傷ついた野生の狼のようだったビリーだが、だんだんとレイラの愛情がその血肉に染み渡って通じていくのが観ていてひたすら心地よい。
レイラはご都合主義的キャラなのだが、ビリーがあまりに不憫な境遇なので、その救いとして機能するには正直不快さはない。詳しく描写されないが、彼女もまた傷の癒しを求める孤独な人間なのかもしれない。

上手いと思った演出は、劇中いちばん面白い両親宅訪問のシークエンスの、テーブルを四人で囲むショット。四人全員が映るショットはなく、必ず三人である。この家族、偽装夫婦の関係性の歪さ、温もりのなさ、不完全さを現す的確なショットだ。

あと、ビリーがオシッコ我慢する演技上手すぎ。トイレで隣のヤツにジロジロ観られて出なくなるシーンとか、ようやく立ちションできて車に戻ってきた時の出しきった感満載のホォーゥ、フゥーというため息。あと気持ちは分かるが、股間をもみしだきながら通りをうろうろするのだけはやめてくれ笑。
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