MasaichiYaguchi

セイジ 陸の魚のMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

セイジ 陸の魚(2011年製作の映画)
3.3
文学作品、特に小説を読むことにおいて「行間を読む」ということがある。
文章として表現されていない部分、ストーリーの背景や作者の真意を読み取ることを意味する。
この作品は、中心人物であるセイジ同様、とても寡黙な映画だ。
原作自体も、セイジの生い立ちや、過去のエピソードが殆ど描かれていないので、読者のイマジネーションを要求する小説でもある。
伊勢谷友介監督によって、原作にないエピソードや背景が付け加えられ補足されているが、やはり観客のイマジネーションに委ねられている部分が多い。
映画は、主人公の「僕」が、廃墟となったドライブインの再生プロジェクトプランを見て、それに導かれるように、20年前の夏にあった出来事を回想するかたちで展開する。
1990年の夏、大学4年生の「僕」は、就活した企業から内定を貰い、学生生活最後の夏を、気ままな自転車旅行で過している。
旅の途中、車と接触事故を起こし、旧道沿いに建つドライブイン「HOUSE475」に世話になる。
店を訪れる個性的な客達や、オーナーの翔子、そして雇われ店長であるセイジに惹かれた「僕」は、そこで住み込みで働くようになる。
何か訳ありの翔子やセイジに対して興味を抱く「僕」。
このミステリアスなセイジを、抑えた表現で演じた西島秀俊さんや、何気ない仕草から「痛み」が伝わってくる翔子を演じた裕木奈江さんが、とても魅力的だ。
「僕」が、「そこ」に溶け込み始めた矢先、平和な日常を切り裂く凄惨な事件が起こる。
この事件の被害者一家の祖父・盲目のゲン爺の筆舌に尽くしがたい悲しみを、津川雅彦さんが、全身全霊で演じていて胸を打つ。
「生きる」とは、「救い」とは何かを問う本作。
説明的な台詞や描写を極力削ぎ落とした分、登場人物達が発した印象的な言葉が、それを紐解くキーワードに思えてならない。
原作にも登場する終盤のショッキングなシーン。
セイジが執った行動を「理解」出来るかどうかが、この作品の評価の分かれ目だと思う。
つまり「人の痛み、悲しみ」を分かち合う手段としてのセイジの行動を。
本作は栃木県で主に撮影されたようだが、人々の「痛み」や「悲しみ」を包み、癒すような山々や湖の自然の美しさが、とても印象的だった。