ニューランド

おんなの渦と淵と流れのニューランドのレビュー・感想・評価

おんなの渦と淵と流れ(1964年製作の映画)
3.5
✔『おんなの渦と淵と流れ』(3.5p)及び 『四季の愛慾』(3.1p)『街燈』(3.1p)▶️▶️

 中平康という名前からは、少なくとも四半世紀前には傑作は、新藤本=旭演の一本しか思いつかず、21Cに入り若干追加あるも、大方は今に至るも変わらず、映画の独自な力を宣していたのは、初期の極短い期間だった気がする。どんどん映画が覇気を失ってくるのだが(それでも裕次郎や小百合ものなど目を惹き·飽かせないものはある)、居直った打ち出しのある、仲谷主演の性を主題にした文学崩れ的三本(かな)は悪くない、映画から離れてるは確かにしても充分魅力·艶やかさがある。
 暗くぼんやり部分照明も多いルック、門の他に先に塀の壊れた所があり気づかれず戻り可能、金沢と東京の庭の立派日本庭園風や特異巨大石像群、疑い察知し覗き見るが当たり前の日常行為、日本間や隣家や川との繋がり。歴史的スチル写真連ね·ややハイキーで弾み動く画面、らの嵌め込み、主人公ばかりかその妻のモノローグの説明多用。
  日本文学選集的に、しっとり又は狂しく、(結局)一元的に纏め上げられた(歪んだ)情感の作を予想させるも、ナレーションと現実のやり取り·反応の差異、反論されてスッと押し切られる·反論した側も後で前言撤回、が何回も繰り返され、昭和14年から戦中大連、戦後金沢の、10年間の(元)大学教授、(戦後)小料理屋の女主人の夫婦の話は、一筋縄には進まない。妻の(以前からの)性的成熟·(浮気も重なる)益々怪物化、にはっきりさせ決着を、と思い詰めてく夫。女学校時通い元の伯父(伯母の夫)に関係持たされて以来、無力感と死の誘惑に囚われてた妻は、戦後夫を食わせ‘ボウヤ'と思える段になって、生きがい·唯一の愛の対象は夫と実感強まってくも、夫の「冷たさ」の塊りに荒れる。ぶつけ合い、わだかまり半ば融け、夫は東京に移り夫は勤め始めての24年夏。家族を女身で養い意固地も·学問に明るい夫の部下、宗教帰依も売春も·留学と出世の科学の手段の·妻の過去知る隣家、と近づき、妻は違う理由で事を早める。
 角度、美術、空間、俯瞰め、縦図、90°変、CUの除きや窺い入れ、雨や闇、時に動感移動、らがしっくりと絡まるも、本質を少し外してる。本格の味わいの変革の才と年季。只、成沢の本来の本はもっと細部細部を納得出来た物では?の気もする。面白いが共感は···  
---------------------------------------------------
 増村や沢島らと邦画新風とされた初期作の本質を覗く。
 『四季~』、展開の捌きの正確さ·冴え、天才の垣間見え、少なくとも外面は一流。しかし、正直、一部の作を除けば、中平は確かな才能とは、言い難いは、承前。当時賞賛の表面の輝き·正攻は理解も、今や(凡庸でも先に言ったように裕次郎もの等、面白さで当時ではなかなかイケてる)伝わり来ず。
 建屋上部に取付けの鏡と写り込み·様子だけでで声を遮断の間仕切硝子、(3段寄りカットやカメラ寄るのもある)表情と小道具のCUの入るタイミング、(鋭い真)俯瞰ショット多用と雨飛沫·靄の活用、列車やトラックの動きとそれに絡む人間の弱み露呈、らの才気が自ずと光り、そのベースの90°変·どんでん·仰俯瞰·切返し·様々セットの澱まぬ正確さで余計なケレンの排し。
 2度の離婚·48でも若く女盛り続く母と、3人の子供らの家庭の絡み。上り坂作家の長男は互いの人気を考え、秘して·距離持つ一流モデルの妻あり、妻は更に飛翔の為·有力者ゲット。が、それは母の10年に亘る愛人。母のショック振り払うレストラン差配仕事復帰へ、若さの無情に戻りくる愛人。ヤケ長男妻は那須の旅館で荒れ続け、原稿の為居合わせ、心寄せる女中頭と懇ろだった夫の心配を取り付ける。母扶助で宇都宮財産家に嫁いだ長女は、優しくも年齢差ある夫から東京の怪しげ青年実業家にはまるも、その打算·非人間性を思い知る。独身次女は兄に職場の親友をめあわそうとしてる。絡み·切れては·目撃や鉢合せで焼け木杭に火、隠しと誠実の煩悶、のとどまらなさ。とはいえ、駒の多彩鮮やか処理だけで、実がなく響かない。
---------------------------------------------------
 『街燈』。以前観た35ミリに比べると見劣りするデジタル版だが、それでも外国映画史上最大の名匠と謳われたデュヴィヴィエと、彼を尊敬する洒落者市川崑が併さったような、シャンソンとオートクチュールと様々な群像の捌きの世界、相当にフレキシブルでゴージャスな才気が迸ってる。ベッケルやキューカーとの間の溝は歴然だとしても。
 俯瞰(L)の多用·対する仰角。カメラ縦移動も、俯瞰へ更に大きく退き·緩急持ち何時しか大きな前後へらの力、後半横へ(廻りめ)も巧みに加わる。カメラに向かい来るや·間近カメラ目線の、大接写の刺激。似た動きでのシーン転換繋ぎ。傾き図連打のクセ味、(浅め)切返しや90°変やどんでんやフォロー移動の正確さ。そして人や車の出入りや連鎖次々留まらぬ悪ノリ。取分け、見せず効果が最大貢献〜顔わからぬ理解あるスポンサー、キスシーン見せずに「今度は髭剃って来て」、「終」後の黒画面にシャンソン。全体、華麗·滑らかだが、真の品位はそうないが。
 只、脚本に監督が相当に入れてるのか(新藤もの以外?)、辻褄らのおかしい思いつきが多く、かなりだらしない。年が少し離れた互いに女友だち同士がやってる都心と郊外の2軒の洋装店に、娘制しきれずも「ファミリアリティ」謳うトップの保険調査会社?(研究所といってる)の誠実サラリーマン、やり手色男学生にチンピラ付き、口出しオバサマコンビ、らが絡まり、メイン人物らの恋の迷い·交錯と真の独立心への目覚めを描いてく。





 
ニューランド

ニューランド