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機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKYのbluetokyoのレビュー・感想・評価

3.8
ガンダムにもこんな傑作があるんだと驚いてしまった。等身大のガンダムというか、戦場のリアルというか、ここには正義も悪もなく、あるのは地獄のような日常だけなのだ。最初は音楽を聴きながらというのが、いかにもシャレのめしているように思えたが、実は切実な理由があることが後半になってわかり考えさせられる。ストーリーはあってないような感じ。ストーリーを想起させる素材は散らばっているが、それをあえて発展させずそのままに置いてある。そのことで、見るものは、想像で補わなければならないが、逆に、世界観を膨らませることに成功している。

地球連邦軍は、質的にも量的にも、ジオン公国軍を圧倒している状況である。にもかかわらず、勝ちきれない。文字通りそうとらえてもいいし、あるいは、噛ませイヌみたいなのがいた方が都合がいいので、あえてジオン公国軍を全滅させないで残しておく、ととらゑてもいい。
前者だと、体制内矛盾を抱えている、ということだ。たとえば、なんの資格も能力もないのに、クローディアが艦長をしていることだ。地球連邦は、それを守るべき秩序ととらえてしまう。
後者は、つまり、戦争が終わって、平和になってしまうと、戦争をやっている人たちが失業してしまうということだ。

地球連邦軍で、フルアーマー・ガンダムに搭乗する、イオ・フレミングとジオン公国軍で、サイコ・ザクに搭乗する、ダリル・ローレンツの二人の繰り広げる死闘が物語の中心となっている。
両者とも、なんのために戦っているのかというと、生き残るためである。生き残るといっても、死なないためではなく、自己存在を守ることである。イオ・フレミングにとって、自己存在とは、勝ち続けることだ。だから、敵が強くなければならない。ただ、強過ぎれば、自己の死を意味するわけで、自己矛盾を抱えている。ダリル・ローレンツは、四肢が断裂している障害者であり、モビルスーツに搭乗して初めて、健常者と同等になることができる。だから、モビルスーツそのものが、自己存在なのである。ただ、あえて戦場は必要がないので、この二人の戦いにおいては、ダリル・ローレンツに分があるとは言える。
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