クレージーキャッツ主演のサラリーマン映画。高度経済成長に一時代を築いたクレージー映画は、今なお高度経済成長期の「明るさ」の象徴として想起されている。
植木等さんが演じる主人公の平 均(たいら ひとし)は、のびやかで、底抜けに明るい歌声とギャグがコミカルに描かれていて、とても面白い。
時代背景を鑑みると、東宝では、「サラリーマン喜劇の洪水」といわれるように1950年代より源氏鶏太原作『三等重役』及び、そこから派生した森繁久彌主演の「社長シリーズ」が人気を博していた。この従来のサラリーマン喜劇では、「滅私奉公的サラリーマン」像を主役とした、社会に尽くしていれば社員(個人)は報われる、「コツコツやる者が社内で勝つ」といったイデオロギーが蔓延っていた。
一方の「ニッポン無責任時代」では、文字通り「無責任」なサラリーマンが主題になっている。当時の滅私奉公的なサラリーマンや日本型企業社会への懐疑が、従来のサラリーマン像にアンチテーゼとして示されるようになったことの意義は、かなり大きいのではないだろうか。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」「こつこつやる奴ぁ ご苦労さん!」など、平の言葉からも読み取れる。
サラリーマンが「時代の生き方モデル」の語り口になっていること、当時の共感を呼ぶという意味でも、「平均」という名前は単純ではない意味があるのだと思う。
この映画が上映されたのが62年であるので、その時生活していた人々は、この映画をスクリーンで観た当時、戦争の記憶がまだ鮮やかに残っていたに違いない。現在回想されるクレージー映画の「明るさ」、あるいは昭和ノスタルジーとして描かれるような「明るい高度経済成長期」という見方だけでは見えてこない、現在に生きる我々の視点からこぼれ落ちているものを、当時の時代に生きた人たちは感じていたのだろうと感じた。