菩薩

手をつなぐ子らの菩薩のレビュー・感想・評価

手をつなぐ子ら(1964年製作の映画)
4.9
世界で最も面白い子供映画では…?おそらく稲垣浩版はもっとドラマティックな展開が待ち受けているのだろうけど、こちらは子供ならではの自然かつ素直な成長を目の当たりにできる。学校教育の使命は主に二つ、一つはもちろん学力の向上にあり、もう一つは生活力の向上にある。日本の教育現場がいつ崩壊し、そして復活し、悲しいことにまた崩壊に向かったか、そして今もその崩壊は続いているわけであり、この作品は「教育とは何か」の原点に立ち帰らせる影響力がある。と言っても先に書いた様に、この作品は子供が主体の映画であり、教師が主体の映画では無い。映画自体を子供達の明朗快活な躍動感が牽引していく、大人達はそれのただの添え物にすぎない。担任の松村先生をはじめとして、大人達は基本的には「手本」もしくは「補助輪」となるべき存在として描かれているが、貸本屋の大将矢崎の様に「悪」ないし「狡猾」なる存在としても描かれる、それにすら主人公格の貫太は毅然とした態度で食らいついていくのだ。確かに貫太は今で言えば「いじめられっ子」に当たるのだろうが、そんな貫太の側にはいつだって奥村くんがいる、貫太に対して体格も態度も上で、矢崎に唆されて貫太を悪事に嵌めるヤマキンにしたって、決して超えてはならない一線を超えはしない、彼等は皆、心の底では手を繋ぎあっているのである。貫太は担任の松村に対し「大きくなったら松村先生みたいな教師になる。」と宣言する、教師にとってこんなに嬉しい言葉は無いのだろうが、それに対しても松村は、貫太の将来を慮って「やりたい事、得意な事を伸ばしなさい」と諭す。生徒にとって担任はただ一人の存在、担任にとって生徒は約三十名の中の一人であってはならない、そんな事を、余裕無き現代の教育現場は忘れてしまってはいないか?その関係はいつまでも続く、卒業式、一人一人にに手渡される証書、生徒達は六年間、精一杯に背と共に何かを伸ばして来た。卒業おめでとう、でも中学でもよろしくね、屋根の上、二人が見上げる空は青い。充たされた生活、明るい未来、その第一歩かつ根幹は、こんな風景の中にある。
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