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少林寺秘棍房のJAmmyWAngのレビュー・感想・評価

少林寺秘棍房(1983年製作の映画)
5.0
RZAがWu-Tang Clanの5thアルバムのタイトルを今作から取っているのは至極必然の行為であるし、同アルバムにおいてCappadonnaが"We might have to 8 Diagram one of y'all MC's"とラップしているのは最早義務である。

もしも火星人が「カンフー映画を見せろ」と言って地球に攻め込んできたら、今作を提示する事によって即刻和解が成立すると同時に泣きながら火星に少林寺が建立されるであろうと確信するほどに、これは正統なカンフー映画における真っ向勝負の大傑作だと思う次第でございます。

開幕からして自決や発狂や信念の立ち往生という凄惨極まる無慈悲性が突き付けられて、絶望の中で救いを求めるように戒律の中へと没入し、そして戒律を破ったその先で壮絶なカンフーが刹那的に炸裂していくワケです。

それはつまり何故この世界に戒律が必要なのか、またその戒律に心身を捧げた末に何故それを破らなくてはならないのかというような、身も蓋もない不条理に世界を侵略されていく悲劇性を鬱屈と共に示しつつ、そして戒律という救済を捨て去ってでも成し遂げなくてはならない想いの結晶が、揺るぎないカンフーとなって世界に対して具象化されていくという、武道的根源性の真っ直ぐな表出に他ならないと私は思うのでございます。

カンフーにおける必然としての挙動の有機的な連続性と、ケレン味溢れる画としての静止。その繰り返しの中で緊張とカタルシスの調和が快感を伴って推し進められながらも、人間の身体の一部が根こそぎ引っこ抜かれるという超肉体的な混沌が盛大に織り交ぜられていく。さらに満を持してエモーショナルに切り取られるリュー・チャーフィーとクララ・ウェイ(ベティ・ウェイ)の渾身のクローズアップといった、カンフー映画の強固なエッセンスで徹底的に畳み掛けてくるラストの多対多の殺陣を観てしまったら、人間だろうが火星人だろうがゴーストフェイス・キラーだろうが号泣する以外に何ができるというのだろうか。

カンフー映画に求めるもののほとんどがこの映画に詰まっていて、私がRZAだったらやはり今作をアルバムのタイトルにしないワケにはいかないだろうし、また逆にRZAが私だったら会社へは行かずに自宅で今作を見続けるのであろうと、偉大なるシャオリン・スピリッツの導きにより私はそう確信しているのであります。
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