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血まみれギャングママのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

血まみれギャングママ(1970年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

異常な映画。
『俺たちに明日はない』(67)の大ヒットに肖ろうと、1930年代前半の伝説の悪党を掘り出し、脚色をしたのは良いが、町山智浩曰く「『悪魔のいけにえ』(74)に近」くなった。確かに異様な瞬間がある。

母親と息子たちの一線が失われて、マザコン、溺愛の愛情に溺れる息子たち。その四兄弟の一人の一人は、牢屋で出会ったサディスティック両刀ブルース・ダーンにアレを開眼させられるが、アッサリ母親に寝取られ、ダッチハズバンドになる様を目の当たりにする。長男の女房も、地獄のような生活から助けてくれた一家への感謝の証として、弟たちに股を開く。そんな母親は、幼い頃、二人の兄妹に両手を押さえられ、実の父親に純潔を奪われる、それが本作の冒頭、タイトル前のエピソードなのだ。

すべての“境界線”が失われている異常さが残る。母に“支配”された息子たちの物語以上に、異様なシーンがネットリと勢い込む。ラスト、鰐をマシンガンで撃ち殺したと通報され全滅するところがユーモラスなエピソードになる筈なのだが、こんな間抜けさすら、長男の突然の“自死”と共に、ネットリと進行するのであった。

母親の最期のモンタージュは、随所に現れるモノローグ同様、流石コーマン、低予算でも工夫は惜しまない。
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