鰹よろし

ファイナル・デッドの鰹よろしのネタバレレビュー・内容・結末

ファイナル・デッド(2006年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

 人間の管理を離れた犬は一体どうなるのか? そしてそれが戦闘犬として鍛えた犬たちだったら? その犬たちが繁殖をし続けていたとしたら?

 犬という生き物は人間にとってはペットとして馴染みが深い。そのおかげかペット産業が急速に活発化し、今や人間に都合の良い様にと様々な掛け合わせが行われ、自然分娩で出産できない犬さえ存在する。要は人間の愛玩具に成り果てているわけだ。いや正確には人間が犬に求めていること望んでいることという一方的なひとつの価値観が存在するというだけなわけだけど。

 海外のそれぞれの法律はわからないが、日本ではペットとしてしか生きられないという面を持つ。野良での繁殖を防ぐために、去勢や殺処分等により人間様が個体数の制限及び管理をしている。

 そんな背景を受けこの作品を眺める・・・

 犬たちが人間を襲う様を受け被害者感情が先行するが、そもそもその犬たちはなぜ人間を襲うようになったのか。戦闘犬として遺伝子操作が行われたとしていたが、現状のペット産業と何か変わりはあるか。

 「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」という作品では人間への復讐という面を際立てたことで現状の犬と人間との関係性を訴えたが、この作品は縄張り意識という面を強調し、島においては犬が支配者であると位置付けることで「人間>犬」という通念を崩壊させる。そこから何か訴えるものがあったのかどうか・・・

 人間の業が垣間見えるのではなかろうか・・・
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