垂直落下式サミング

ペーパーハウス/霊少女の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ペーパーハウス/霊少女(1988年製作の映画)
5.0
思春期の子供の空想を描くファンタジー作品。自分でしか解決できない心的でナイーブな問題に、戸惑いながらも立ち向かう少女の心の成長に切り込んでいる。
11歳の主人公アンナは、親には反抗的で我が儘。ませてるけど男の子なんか大キライ。当然学校の友達も少ない。なかなか可愛くないガキなのだが、誰しも子供期には無意識に空想の世界に逃避することはあるだろう。その空想に没入してしまうことは悪いことではない。
アンナは授業中に廊下に立たされ気を失ってから、絵に描いたことがそのまま夢に現れるようにる。空想をリアルに感じ、現実と往来できるようになるのだ。アンナは自分が描いた丘の上にポツンと建つ白い家の窓から寂しそうに外を眺める少年の絵を描き、その夢の住人「マーク」に恋をする。眠ると夢の中を侵食する空想を恐れつつも、彼と楽しい夢をみるために木、海、灯台、自転車、父親…様々な絵を描き足して、夢を自分の都合の良いものにしようと試みるのだが…。
冒頭でアンナが、数少ない友達である仲好しのイケてる女子に「パーティはどうだった?」と訊くと、友達が「いろんな男の子とキスしちゃった。でも想像でする方がずっと良いよ」と答える場面がある。アンナは男の子になんて興味ないふりをしているけど、内心友達に先を越されたことに動揺している。だから彼女はノートにマークを描いた。でも足を描かなかったので彼は歩くことができない。さらに夢の中で父親と会うために父親の絵を描くのだが、その絵を「悪魔みたい」と言って塗りつぶしてしまう。すると、彼女の夢は顔のない父親が襲ってくる悪夢となる。「歩けない男の子」や「悪魔のような父親」を受け入れることは、完璧でないもの・思い通りにならないものを許し愛する心を養う得難い学びなのだ。自分が描いた絵すら愛せない彼女は、自分も他人も愛することができない。当然、看病してくれている母親や単身赴任中の父親の愛など理解することができないほどに彼女は子供。自分は一人で生まれて自分一人で育ってきたつもりでいて、親のことなんか鬱陶しくて仕方がないのに、一緒にいてくれないことにへそを曲げて親に対して偉ぶった態度をとってしまう。そんな思春期のむず痒さ。お父さんお母さんのことなんて死ぬほど大嫌いで、同じくらい大好き。愛されていること、愛をを実感できてしまうことが不安で、否応なく次の段階へ成長しようとする自分の心や体の変化が恐ろしくて仕方ないのだ。
不安も恐怖も空想で克服すればいい。世の中大抵のことは空想の方が美しいし、誰しも自分という物語の劇的な主人公でありたい。現実が嫌になったときは、空想を真剣に生きることこそが立ち上がる近道なのだ。芽生えた自己愛にどう落とし所を見付けるか?悩ましいテーマでありながら、夢想の美しさと愛の尊さを映し出してみせた傑作である。
本当に大好きな映画で、私にとって特別な一作になってしまった。自分の空想を愛し思いやることが学びの時間となり、現実で有意義な人生を生きるための力と術を教えてくれる。そんな夢の時間を過ごした後に見る現実は、未熟な想像では及びもつかないほどの大きな喜びに満ちているはずだ。