ニューランド

人間ピラミッドのニューランドのレビュー・感想・評価

人間ピラミッド(1961年製作の映画)
4.3
 来る途中にトラブルがあって、遅れて入ったせいか、点数は、デジタル時代以前のフィルムで観た20世紀のものから、0.1下げてある。なんとなく憶えてるが、最初の仕掛けの細部がよくわからない。それで感銘度は以前観た時の圧倒的なものからやや薄れてるか。
 しかし、じっくり導くより、仕掛けやキャラ色分けで、攻めて·素人俳優らに任せ·またそれを掬っての、成行きがドキュメンタリー調を取りながら、舵取りでかなり集中度が高い。しかし、完全に組み立てられてなくて、断片断片は鋭く正確·適切も、個々の屹立を保ちつづけてる。
 パリの(仲のいい?)白人のナディーン、黒人のドニーズの2人の女生徒をフィクションとはいえ、アフリカ·象牙海岸のアビジャンの、1959年夏季の数十日の実際時空、男女·白黒異人種の半々共学クラス(その平等謳いを表したクラス自体が時代を一歩進めた理想形の置き方か)の、歴史も深くはない中の、かなり不全な片側交流、趣味や背景の違いを鵜呑み·表面感覚思い込で固定傾向の映画を超えた現実の中に、転入させてくるのがミソ。徐々に垣根を越えた交流が始まり、意固地にそれを拒むもあるが、理知的に結果そっちの方を選択してく者も。それぞれのベースは違えども、それぞれの社会では社会進出狙えたり·現気楽めスポーツ·エリートらの、縛りを客観的に捉えられる位置に。
 父親と暮らしてるも、奥地に多くいて自由満喫で、受入れも動き出しも自在なナディーンは、慎重で歴史や社会にも詳しいドニーズから、南アのアパレトヘイト、人種差別~政治と個人に跨がる~等の事を初めて聞き、元々パリで偏見など知らずに育ってて誰との間にも壁を設けない主義か無垢さで、プライベートや遠出にも、応じ、寧ろ対黒人の方にウエイトを意識半ば以上置いて、展開させてゆく。頑な趣味や生活·勉学態度合わぬと、応じるは教室内に限る者もかなりいて、そこへの架け橋は、ドニーズの様に慎重を期すべきで、彼女もナディーンに諭すが、短い間の試験的映画では、それでバランスを戻してはあまり進行が望めなくもある。実際に付き合って面白みを相手側にじっくり見出すのが長期フィクションものだが、ドキュメントベースに、演じる側にもフィクション展開の主導をもたせてるせいで展開は、現実から浮きめも見せてきて、黒白人の2極間や一極内対決の様相まで迄もってくる。そして、ナディーンの急遽仏帰国の話と、プロジェクト自体の終焉。
 現地先住民と、経緯は様々も入植白人の軋轢·交流については、進まないをじっくりリアルに描く分には、問題提起は出来るが、固まった問題として、動き出すには長大な時間を喰ってしまうし、身近にソクソクくる感じは生まれない。人生の様々な急な転機は、急にフィクションの内の人物になったように、様々に距離のあった現実が急に一度に挿し込んてくるものだ。単に美しい、映画的見栄えがするから、いつしかナディーンの出てるパート増え、展開の中心となってくるからという訳ではなく、その世界の歪みみとそれに向き合おうと前向になった瞬間に、いちどきに姿を見せてくる現実との関係性の、主観と客観の溶け合った現れ方といえる。それは予めの展開のアウトラインというより、場を設け、そこに現実の人間を入れ、キャラクターを与えてく中で、現実よりも想像力·演技(する事の本能的)力が、より自己も周囲も、モラルの繋ぎ止めを越えて、はたらき伸び、絡まっていった結果といえる。
 事実、劇映画的な的確な細かめ断片より成ってる本作だが、断片は予め想定しその通りに収めたカット·カットではない。一般的統一性からははみ出た輝きと力を自発的に持ち、それらが繋がっての一体巨大め動きはその時既に感じられてて、編集時にその予感を思い出して嵌め込み、未来へ向けて纏める中、生々しさ自体が展開と同等に自然出てきた形と思える。ナディーンの全方位性、不在の親に縛られぬ自由さ、黒人の在仏時代からの友人に教えられ目が醒めるアパルトヘイトらこの国よりも酷い差別の場の存在への意識は、自然黒人の男友達の方へ強く向き、本人は友達の枠内というが、その全体の歪み·熱が周囲にはそう取らせなくなる。
 なんかハンディ感じながら観てて、前観た時程のある意味円満さは感じられなかったので、キチンと頭からまた見直してみたい。ルーシュの映画は、映画を見始めてなかなか観る機会がなく(映像カルチャーホールも動きだす前で)、やっと見れたは、ロメールやリヴェットを初めて見れたのと同じ年で、『コケコッコーにわとりさん』だった。すぐ参ってその年の年間ベストリストに入れた。それを含め、ルーシュの映画は断りなく異文化·異人種の世界にそのまま溶込み·一体化する作品が多いが、製作母体のせいだろうが、『われは黒人』なんかと並び『~ピラミッド』は西洋的制作アプローチの明晰な手の内を見せた、いわば理知的作品だ。タイトルとなった詩と朗読が、その線で美しい。
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