マバ

不安は魂を食いつくす/不安と魂のマバのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

“Nichts Angst.
Angst nichts gut.
Angst essen Seele auf.”

はじめてこの映画を知ったときからタイトルがとてもすきです。知ったときはまだ母国にいた大学の頃で、だいすきな教授の講義で紹介されました。あの頃はいつか絶対ドイツに留学に行きたいと決意して毎週の土曜日に台北のゲーテ・インスティトゥートに通ってドイツ語の勉強に頑張ってました。最初はアリの拙いけど真摯なドイツ語に心をすごく打たれて、一生懸命ドイツ語を喋ろうとしたアリの姿がにすごく共感できたからか特にこのタイトルのセリフとこれが出たシーンにすごく惹かれました。そんな背景と環境の中でお互いの良さに惹かれて心で結ばれた二人、そしてそのセリフが言える関係性がとても美しく感じています(同時に少し羨ましい、と思ってるかもしれません。)わたしはもともと心細くて臆病な人間で社会的にもアリとエミのようにマイノリティに属されているだから、この映画を知ってから不安になったり後ろ向きになったりするときはよくこのセリフとこのシーンを思い出します。不安と恐怖に負けないように、魂を失わないように生きていくって自分に言い聞かせます。
それからこのセリフを思い出すたびに、この映画のことを教えてくれた教授のこともよく頭に浮かびます。教授はわたしの価値観や世界の見方や考え方などを大きく変えてくれて(マイノリティへの認識からいろんなことまで、今の自分の思想の土台はたぶん全部彼に影響されています)、よくしょうもないわたしのことを褒めて肯定してくれた恩師でした。教授はイギリスで博士号を取得したから台湾で教鞭を執るまで長い間にずっとイギリスで生活していて、海外留学生と海外労働者としての経験がありました。大学が夏休みに入ると教授は必ずイギリスに「戻る」って言ってそれから二か月間くらいイギリスで休みを過ごすようにしています。教授は一年の最初の講義からセクシュアルマイノリティであることをみんなに公言していて、イギリスで長年付き合っているイギリス人のパートナーがいるということです(教授のFacebookでたまにパートナーの写真があげられるけど、なぜか全部後ろ姿や顔の見えない写真でした。)ファスビンダーがバイセクシャルであること、アリ役のサラムがファスビンダーの恋人だったこと、そしてサラムがその後自死したこと、これらも全部教授から教えてくれました。教授はこんな経験を持っている人だからたぶんこの映画にとくに思い入れがあるだろうなとはじめて観たときからずっと思っています。いつかの大学でのワークショップかセミナーのとき、質問フィードバックタイムである参加者が震えながら自分のセクシャルマイノリティとしての経験とこの社会で感じた不安や恐怖をシェアしてくれて、そのとき教授が「あたなは孤独で一人ではない。ここにいる皆んなはあなたと同じようにたくさん苦しい思いをして傷ついて生きている。だからわたしたちは今日こうしてここに集まっている。このコミュニティの皆んながあなたの仲間だ」とあの人に言いました。なんだかそのときの教授の姿とキッチンで泣いてるエミを慰めるアリの姿が重なるように見えてずっとわたしの心に残っています。(わたしたちはアミとエミと同く弱者でありながら無意識に誰かの加害者になってしまうときもあるから(エミがアリの身体を新鮮がって同僚に見せつけてたりヒトラーのことを少し崇拝そうに見えたりクスクスを拒否したりすること、そしてアリが同僚と一緒にエミの年齢を嘲笑したことなど)、人の心に潜んでいる不安をなくすにはまず身近の人や手の届く範囲の人からはじめお互いにやさしくして支えてあげないとなと感じていました。)そのときからわたしにとってこの映画は大切な教授に対する記憶や思い出に結びつく作品だから思い入れのある大事な作品になっています。

この映画を知ってすきになって数年経ったら、いつの間にか自分もアリや教授と同じよう海外労働者として一人で働いていて毎日母国語じゃない慣れない言語で生活しているようになりました。海外で生活していてふっとしたとき、言葉が思い通りに出てこないとき、なにかうまくいかなかったときなどによくこの映画のことが頭に浮かびます。今年の初出勤日もいきなり胃に激痛が走ってしばらく会社の医務室で横になってたらこの映画のラストシーンを思い出して一人で笑ってしまいました。
そして2ヶ月前にファスビンダー傑作選のきっかけで異国の地でもう一度この映画を観て、今までないほど「孤独」を感じていることに気づいてしまいました。この映画はエイジズム、レイシズム、移住労働者、階級差別、ドイツの歴史問題、歳の差恋愛などいろいろ複雑なテーマが描かれていますが、それらの裏にある共通のものはこの社会にある冷淡と孤独だなと感じています。様々な形で社会で周辺化された人びと(画面上ではドア枠、柱、窓、階段の隙間などに囲われてる人びと)の魂を食いつくす不安の根源は孤独でした。わたしがなんとなくよくこの映画のことを思い出すのもそこに自覚がない自分の孤独が映されているからかもしれません。
マバ

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