せいか

レオポルド・ブルームへの手紙のせいかのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

自分用メモ

9.3視聴。レンタルDVD。
きっかけ:忘れた。

ジェイスの『ユリシーズ』が下地にあるらしいが未読。さらにその作品の下地になっている『オデュッセイア』は既読。
だが、オデュッセイアとは別物すぎるハードさなのやらで、ユリシーズを読破してしているほうがよいと思われる。言ってることのいくつかもはっきりするだろうし。


「"囚人さん 僕はレオポルト 僕の人生は生まれる前に始まった 僕は母さんの罪の烙印 叔母さんは言う 僕は目で話すと(…)お互い 出口なし 向こう岸を夢みてる 人は皆 僕を避けます 何かしたからではなくて 僕が僕だから… でも あなたは自分の事情をご存じだ 会うことがないと書きやすいですね よければ お返事を"」

「"物語の始まりは予測できない 人生の始まりも それぞれの物語や人物の背後にーー歴史がある 歴史が物語で作られているようにーー物語にも物語がある そして君の歴史はーー早く目覚めたいと願う悪夢だ 目覚めに乾杯 もしくは脱出に"」
「"過去の行動が自分の未来を決める それが世の常だ"」

レオの母親もなかなかのクソババアだが、言葉の毒を撒くだけ撒いて去りぬしたババアもクソである。自分たちとの付き合いを遠巻きにする彼女に対して(彼女の家庭に嫉妬してたのもあるのかもしれないが)明らかに悪意を撒く目的だけで家に来るとか、こういうやつおるけどね!!! そしてそれでまんまとタガが外れるババア(母親)もババアである。
院まで進んだけれど、結婚、子育てのために自分はアカデミズムの道を諦めるしかなかったのに、それに比してそちらの道を無邪気な態度で突き進む夫にモヤモヤする気持ちが分からないわけではないけれど。特にこの映画公開当時は今以上に諦める方向の道しかなかったのかもしれないけれど、とはいえ彼女から見いだせるのは同情の念などより、そのエゴイズムへのムカつきである。カーーーッペッ!!! だからといって自己憐憫に満ちた毒親になっていいわけではない。その程度であるのなら最初から結婚も子作りも計画的にやるかハナから諦めればよいのだ。優しそうな夫にも自分の気持ちを抑えるような薄っぺらい貞淑さを選んでおいて(貞淑以前にろくに相手にしない、相手を見ない)、おまえは何がしたいのだという感じである。浮気を疑うときもろくに話し合いもせず、この夫婦関係や夫がどこまで健康的な関係だったかは掴み取りかねるが、見える範囲では、妻が勝手に閉じこもって不安を膨らましていたようにしか見えない。
学術のパーティーに(たぶん夫の付き添いとして)参加して、かつての学友の女性が順調に歩を進めてるのをにこやかに聞くシーンの怖さよ(そしてその人と夫が親しげにしているのをただ見る怖さよ)。相手も彼女と話す話題のカードがよく分からなくて娘のことを表面だけ聞いたりとか、この空気感がこええ。住む世界が違う感じをお互いが築いていっている。おかんのほうは家事の合間に読書をして過ごしたりして、よくいえば趣味としてこれを続け、悪く言えば執着してそれを続けてはいるのだから、文学トークだとかに軌道修正もできるだろうに、自分であえてそれをしなかったものだと思うのだよな(相手のほうはそこを計りかねるから言い出さないのは分かる)。自らの執着をさらけ出すようなものだと思って言い出さなかったのかもしれないけど、ここも言ってしまえば驕りなのよな。家庭に入ってるからその話題しかしないなんてことはないわけで、自ら枠を作って首を絞めている。そのくせ新たな枠に馴染もうともしない。その苦しみはやはり分からないわけではないけど、彼女の母親としての未熟さ、またはそんな大層なものになるべきではない様子がはっきりしていると思う。おまえはほんとに何がしたいのだ……。
酒におぼれて勝手にイライラしている彼女はいささか滑稽である。彼女はただ穏やかな顔をして大人しくしていた。何もしていなかった。家庭を持つこと、妻ないし母親であることのしがらみ、それは十分足枷にもなるだろうけれど、彼女は決定的なところでずれている。それに巻き込まれるほうが可哀想というものである。毒親にはうるさいタチなので、観ていてウオーーーー!!!ともなる。
怒りにまかせて書斎のいかにもな古書類に八つ当たりする彼女は哀れで矮小な人間でとことん卑俗である。ほんとに結婚せずアカデミズムに残ってたところで順風満帆にいけたかは疑わしいところである。あと本に当たるな。自らの夢であったはずのものにまで怒りをぶつけるところにはどん詰まりを感じはするが、所詮は暴力的に牙をむける程度でしかないのかなと思うばかりで、ほんとにろくでもねえ女なのである。
ヒステリー晒して内装業の男に宥められるがままにオンナになって、そういうところがテメーの将来をテメーで潰してきたんじゃないですかねと思うばかりである。そしてやることやってからやっと(飲酒状態で)夫に浮気の嫌疑をかけるという(そして夫は嘘を言った女性の元まで行ってそれを晴らす。彼女も立派な家に住まう妻である)。それでも優しく「僕を信じられなかったというわけか」と話しかける彼に、彼とは違ってはみ出てしまった彼女は言葉少なく自分の非を打ち消そうとする。そういうところやぞ……うごごご……!
たぶん自分の過ちを帳消しにするためにその日の晩か数日のうちに夫ともセックスしたんだろうなでもあるし(夫から持ち出したにしてもそれを受け入れたということになる)、どちらの子種か分からない不安とかも未来を先送りにした結果だし、夫と娘が死ななかったらのうのうとやってたんだろうし。夫は、自分の留学が終わったら妻にも博士号の取得を進めていて、とはいえそれでアカデミズムの世界に素直に帰れるわけでもないし子育てだってあるんですけど、たぶんそういうところも妻はイライラしてるだろうし(でも何も言わない)、ウヴァーーー!!アーーー!!!きらいきらい!!!
そしてコールドクリームを家に用意してなかったけど、子供が日焼けを起こしているのでと、夜にもかかわらず夫はそれを買いに行こうとして、妻はついでにそれに娘を連れて行ってもらう。この流れもなんだかなという感じである。それで、妻がゆっくり入浴している間に二人はそのまま事故死するのだが。
事故死を聞いて失神し、そのまま(未熟児を)出産するわけだが、運ばれる中で過るのが自身の過ちの瞬間瞬間で、ほんとに弱い女だなあとしみじみする。追いかけてきた過去の過ちを極まったところで認識するというか、ほんと、母親として未熟なままずっときている。自身が悪いのだとは妹に告白しても、続く言葉は、私がふたりを死なせた、赤ん坊はその報いであるという、ここにいたってもまだまだ自己保身に覆った曖昧な言葉の数々である(たぶん本気で己を責めてはいるのだろうが)。「なんにでも理由はあるのよ」せやなである。ンアーーーー!!!
挙げ句の果てにはこの世に生を受けても肺が不完全なゆえに今も苦しんでいる、己の結果たる子供に対し、「その子には会いたくない」ときた。夫らが無事なままだったら、仮に不義の子だとしてもそのまま育てるつもりではあっただろうに、ほんとクソ、クソババ……クソ……てめえの罪を数えろ……。ンハア、ンハア!!!
とはいえ、「気持ちは分かるけれど」(?!)と妹に名前を付けてやるよう促されると、レオポルトとすんなりと名付けは済ませる。ちなみにこれはユリシーズの主人公の名前から取られているようである。
それからはあの家で、ソファーに雑に寝かされる赤子の隣で酒にタバコである。特にタバコに関しては肺が弱い赤子でもあるのだからなおさら悪いのに、自分の快のためにやってるんだからクソババ……このクソババ……。子供が育ってもほとんどネグレクトで投げやりな育児をして、すぐに死んだ娘と重ねては、ひたすら少年の存在を言葉にして否定する。押さえ込まれた子供はひたすら静かなものである。で、(たぶん)塗装工とはしっかり仲を深めているらしく、同じくクソ性分で酔いどれになって彼は彼で彼女に纏わりつく。暴力的な雰囲気も相俟って救いがない。とにかくそんなものはない。少年はそっと部屋のドアを閉めるだけである。つらい。
部屋もかつて娘のためにあてがわれた部屋に、そのときのおもちゃなどがあるばかりで、たぶん、彼のために新たに手が加わった要素があまり見受けられない(あるのかもしれないが)。つらい。子供がこっそり自分が寝ている横に寝て身を寄せてから帰って行くのにも気付いてて何も言わないのもつらい。終わってる家庭の描写が丁寧すぎる。

そんな感じでとことん母親が私は好きになれないが、彼女の息子を愛さない態度は端から見てると本当に不愉快で、学校側が彼の優秀さを認めて特別なプログラムに行かせようとしても頭からはねのけて、彼の進路を絶ちに行く残酷ささえある。ここまでくるとおまえの存在のほうがいよいよ害悪だというものである。貧困による視野狭窄からくる家庭内暴力やネグレクト、子供の道を潰すとはまた違うのも味噌である。それらによる子供の不幸も無論問題は多方面に山積みなのだが、彼女の場合はただ自分が不愉快だからそれを指先で潰しているだけでしかない。ムカつくムカつく。自分の軽率な不幸に、罪の結晶として認めた子供を巻き込んでいるだけだ。
子供が書斎の本を読むのに横槍は入れるけど、本を手放していないところに彼女の粘着いたあらゆる執着が生き残っている感じがする。それに罪の子が触れるのはどんな思いがするのだろうかと思うけど、徹底的に触れさせまいとはしないところにまた複雑さがあるのだろう。横槍を入れようと相変わらず黙り込んだままの少年の姿は、話し合うことを避けてきた自分と重なりもするのだろうな。そしてそれをどうにかしようとはやはりしない。原因と結果がいつまでも繰り返されていく感じである。
育ちゆく彼に母親は怯えるばかりで、問うてみようとも自分を嫌いもしない息子に「嫌うべきよ」と言い返す。ほんとどん詰まり。その流れで息子に名前の由来を語る。大学時代に読んだユリシーズから取ったもので、この本は私の人生を描いたようなものだったと。嫌なことばかりだと。それで、読んでいい?と言われたら、後悔するわよと手をふるわせるわけで、毒だなあ。ほんと毒。書斎の本は全部読んだんじゃないのとか言ってるあたりからして、小中学生程度のレオの凄さがにじみ出てもいるシーンである。観ててほんと息苦しい。

手紙を獄中で受け取ったスティーブンは返信の中で、君の母親はそれでも心のどこかでは君を愛しているんだよと諭す。「"君を避ける人たちを許せ 自分に我慢ならないだけだ 会ったことのない父さんや姉さんでも 恋しがってもいい 書き続けろ 手紙でも何でも またな スティーブン"」と、彼の返信内容が読み上げられる中で、暗い書斎の中で暗闇の中にあったレオポルトが、月明かりか朝日か、下から外の明かりに照らされていくシーンは印象的である。彼にとって道標になる言葉だったのだなあ。

平行して語られるスティーブンサイドの物語も、彼が身を寄せる食堂の劣悪さにはずっと反吐が出る。
元囚人を奴隷身分の人間として取り扱うオーナーに、ウェイトレスへのセクハラも露骨でスティーブンへの当たりも強いオーナーモドキ。つらい。

塗装工と何でもいいから話そうとするレオだけど、俺たちに共通項はないだろう、塗装工に興味もないだろう、実はそんなにこの仕事は好きじゃないんだと答えていく塗装工も切ないし、なら何が好きなの?と言われても何も言えない虚無がまたよい。母さんは好きなの?と言われれば、吼えるようにこれを肯定するしかない感じだとか。虚しい。

外で遊んでいた子供たちの輪の中になんとか勇気を出して混じるレオを、たまたまこの場に訪れたスティーブンが見守り、家からは母親が見守る。少年に向かって交差していく眼差しが優しさよりも切なさを孕んでいる。つらい。というか、いままでろくにスポーツとかやってなかっただろうに野球できるのすごいな?
レオが活躍するのを二人は眩しそうに見つめるが、すぐに母親は彼を家へと呼び戻す。どん詰まりよ。

塗装工はとことん堕ちてブルーム家に寄りかかり、いつも酒に溺れて暴力的に振る舞う。自分でも認める「ろくでなし」男である。付け入る隙を与えていた母親が悪いところもあるが、その暴力性に怯えて過ごしている様子を観ていると普通にそこは同情する。ほんと、とことんどん詰まり。彼が決定的な暴力は振るわないからできないのかもしれないが、何らかの機関に相談するとか逃げることをしている様子はないので、やはりここでも彼女は中途半端に受け身でいる弱い人間なのかもしれない。ビンタするのが精一杯の強さなのだろう。しんど。

スティーブンはスティーブンで、食堂の倉庫?で、例のオーナーモドキがウェイトレスをいよいよかなり悪辣にレイプしようとしているのを見て、刃物を持ち出してこれを止める。客たちも様子がおかしいのは察していても素知らぬふりで、金魚の糞はカウンターに立ってニヤニヤし、同僚は昼飯を静かに食べている。直前のシーンでスティーブンの手紙のことを立ち聞きしてもいたオーナーなどは、部屋の中でラリったようにぼんやりと何やらしている。敬虔な振りをしてシェパーズパイをただごり押ししていただけの底の浅さはスティーブンも指摘するところだったが、ほんとに掃き溜めみたいな所である。
「僕は怖くて黙ってるんじゃない 昔 女を傷つけた男をーー殺した あいつは最期の瞬間ーー こう思ったろう どうして あんなにおとなしい男が こんなに強くーー 殴れるんだろうと」
助けられたウェイトレスはここから逃げることを勧められるが、それは時々考えてみたけれど、私はここしか知らないからと答えるが、たぶんこの態度はレオの母親にも言えることなのだろうなあ。誰しもにある身近な行き止まりだ。刺さる。つらい。

言い争ううちに母親が男に暴力を振るわれ(ここで母親のほうがとことん受け身の被害者面なのがまた反吐が出るが)、そこに帰ってくるのは買い物帰りらしき18歳の男である。母親と男はレオの母親と内装業の男の配役だが、レオかと思しき男はスティーブンである。彼は刃物を持つ相手をフライパンで殴り殺してしまう。直後、冒頭の出所後の車内の会話のシーンが繰り返され、スティーブンは、俺は名前を変えたい、スティーブンにしたいと語っている。なぜその名前なのかと問われると、小説の中に二人の男が出てきて、その若いほうの名前がスティーブンなのだという(ちなみにスティーブンの名もユリシーズ由来)。「(レオポルトとスティーブンのうち)一人は信じ続け もう一人は疑い続ける ずっと老人のような気分だ 疑うのに疲れた」
要は、スティーブンがレオに過去の自分と似たものを見たので手紙を書き、彼のために物語を書いていることを同僚に打ち明けていたように、スティーブンとレオはコインの表と裏というか、円環構造にある関係なのである。だから相互に語られてきた二人の話は大体において二人の話でもあるのだろう。
内装業の男を殺したのは18歳のレオポルト・ブルームでもある。彼もまた同じ道を歩んだのだろう。そのまま裁判シーンになるまでがいささか混乱するが。

裁判シーンがこれまたこちらの沸点をくすぐるもので(そうでなくとも、彼の才能を殺したまま、学問を与えないまま18歳にさせたらしい様子は伺えることにも怒りが出てくるが)、母親は供述内容を曖昧にして、レオの罪を軽くできるような事実は語らない。まるで普通に言い争っている時にレオがいきなり男を殴り殺したとでも言わんばかりである。弁護士が、男が包丁を手にしていたことを問うても、なんとこれも曖昧な言い方で否定をする。全身の痣を指摘されれば、曖昧に、だが顎を上げすぎた姿勢で、これも、私と彼は酔っていたので。毎度のことよである。本当に、庇うとかそんなのでもなく、そもそも徹底して息子のためになる事実は言わない。害悪。「きらうべきよ」と遠い昔に言っていたように、自分の罪から嫌われることに必死であり、これを救うことはしないことにも必死であり。ンアーーーー!!!
それでここで内装業男が無精子症であることが明かされて、罪の子だと信じ切っていた母親もそれを知るわけですが、受け止めきれずにわずかに震えてかよわーく沈黙するだけである。
レオも自ら証言に立つことを拒み、母親に守られなかったように、罪を軽くしようとはしない。
「なぜ事実を話さない?」
「僕は彼を殺し 母は僕を殺した 理由はそれぞれです(…)あなたは……分からなくていい」

母は妹から自分が何をしたのか分かっているのか、処刑したのよと責められ、もう姉さんとは思えないとまで言われる。
それでも彼女はボーッとするばかりである。そして彼が第一級殺人と断定されるのを静かに聞くだけなのだ。この直後にカメラが引いていく中で、顔の右半分は影が落ち、こちらを睨みつける彼女の表情の恐ろしさよ。害悪ーーー!
そして獄中に面会に来たと思えば、「別れを言いに来たの」である。その判断もっといろいろなところでいろんな相手に言えたと思うんですわーーーー!!!クソーーーー!!!おれはこの怒りをどこにやればいいの!!!
息子は静かに「証言台で済ませたろ」である。彼女は相変わらず上げすぎた顎でわずかにふるえながら彼を見つめるだけだ。
「僕が言う番だ 違う?」
「価値があった?」
「何が?」
「彼を殺すだけの? ここに入る価値があったの?」
「つまり 母さんを救う価値? 分からない 僕に何を期待してた?」
「私が愛せるような人になることをーー期待してたの お前は愛すべき子だったわ あの事故を自分とーー」
「僕のせいにした」
「自分のせいだと思ってたわ お前の誕生の仕方も… ベンの子だとは思いもしなかった」
「今は息子だと認めるのか? 違うな 僕を殺した 僕はあいつを これですっかり終わったってわけだ」
それでテーブルのうえで握られる手を息子が振り払おうとしたら、この母親は謝りながら抱き付くわけである。この徹底した弱さよ。この場面でやっと向き合って(それでもなお優柔不断で自己保身はしっかりとる)話す愚かさよ。「許して 見捨てないで お願い」と涙ながらに訴える態度の自己中心さよ!!!自分が救われたいだけなんだよなあ。そして息子のほうが母親から離れていく。こんな嫌な巣立ち描写があるかよ……!

ラスト、スティーブンは少年に完成した物語を送る手紙を認める。ここで少年の名が「トム」であることが明かされる。つまり、スティーブンもレオポルトもまごうことなき同一人物であることがここでいよいよはっきりする。そしてトムもまた彼と似た人であることも明らかになる。
そしてオーナーに小説の一部(話の流れから多分そう)を送り、彼が目を通す中でここをでる準備をする。そこに銃を手に殴り込んでくるのがオーナーモドキなのだが、オーナーはこれを庇う。オーナーは南部への愛着と郷愁と離れられなさを語り、「お前は出ていけ」と語りかけるのがやや温かい感じがする。ぜんぜんハートフルではないのだが。そして彼はミシシッピ川(らしきもの)を越えて、荷物を公園的な事前の中に放って走り出す。その先にはいつの間にか少年がいて、しばらく走った後に彼らは語りはじめる。
暴力を振るうなと急いでみんなに言おうとする少年を呼び止め、頭の中の幸せなことを語ればいい、君を探すことをずっとやってきたんだと語りかける。君が最後に見るのはミシシッピ川の景色なのだと。要は自分自身との対話である。
ラストのモノローグ(青年の彼と少年の彼が重なったり片方だけになったり)は印象的である。
自分はこれまで言葉にすることに自信がなかったけれど、今はそう思わない。「だから僕の物語を語ろう 僕の人生は生まれる前に始まった」「きっと偉人か英雄(の名前)だろうと思っていたが 実は迷い くたびれた男だった」「もう一人は好きだ でも 彼の名字はブルームではなかった 世の中はままならぬものだ 名前の話を聞いた午後 僕は多くを学んだ 母のために人を殺せる理由も分かった あとで知ったが 名前をもらった人物は 立派な人だった 疲れていても迷っていなかった 彼は立ち直った 僕もだ もう迷わない」→野原で規則正しく置かれた本に囲まれるなか寝そべる彼をうつし、そのままエンディング

エンディングがやけに詩的なかんじでちょっと困ったが、いい作品だった。精神はゴリゴリに削られたが。これは一人の青年が前進するための物語なのだと思う。幼少期から一カ所に留まりながらも行き場なくさすらい、旅をして。それでもオデュッセウスのように帰れる家があるわけでもない。あくまでも尚、ここからなのであろう。
せいか

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