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飢餓海峡のSPNminacoのレビュー・感想・評価

飢餓海峡(1965年製作の映画)
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長く濃厚な3時間。何度か時間や舞台が変わる所で、小説だと「第○部完」とクリフハンガーになりそうな構成だ。台風による青函連絡船事故と犯罪がシンクロする第一部から、舞台を東京に移したその後、そして10年後新たな犯罪と捜査、やがて遂に真相が語られるもそれは信用ならない語り手…と最後まで嵐のように畝る大河ノワール。まあ大筋的には救いのない「レ・ミゼラブル」みたいな…あゝ無情。
もちろん中心にあるのは、終戦後見放されて身も心も飢えた人々の情念や執念だ。金と誇りに飢えた男、希望に飢えた女。実体の見えない犯人を追い続ける刑事もまた満たされぬ使命や正義に飢えている。そんな彼ら飢えた者同士にしかわからない物語でも、語り手によって真実は異なる。
幻惑的衝撃的場面でネガポジ反転演出が多用され、聖と俗や罪と罰のコントラストを強烈に煽り、雷雨を境に蘇る魔の刻。旨そうに頬張る白い握り飯と、海へ投げ込まれる白い花束は純粋な魂の象徴か。だがそれも、貪欲に飢えた「大きな」闇の中に飲み込まれてしまうのだった。
三國連太郎は大きく恐ろしい怪物性を体現するような迫力。鮮烈な印象を残す左幸子は、天才女優がこの手の聖なる娼婦で犠牲者役を演じた例(ジュリエッタ・マシーナ、エミリー・ワトソンやビョークなど)の典型ではなかろうか。何となくスティーヴ・ブシェミかスティーヴ・クーガンに似てる伴淳、血気盛んでうっかりやらかす若き健さん。ビックリなのは、当時50代の加藤嘉が既に完全に枯れきったおじいちゃんだったこと。いきなり茶を点てる藤田進も人物像としては良くわかるけど、あの時代はそんな警官がいることが驚き。いやでも、ラストはさすがに油断しすぎだろうよ…。
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