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劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女のねまるのレビュー・感想・評価

劇場版 FAIRY TAIL 鳳凰の巫女(2012年製作の映画)
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"過ちは人の歩みを止める枷にあらず、人を育てる糧である"

久しぶりに読み直してもやっぱり好きだなと思える漫画(映画のレビューじゃない)

主人公は、
世界や地球を守るために戦うのでもなければ、
何かの頂点に立つために冒険するのでもない。

ギルドという家族を守るために戦う。
仲間たちみんなが笑って生きられる明日のため。
世界?未来?そんなの知ったことか。
その姿勢が潔かった。

このテーマを体現しているのがナツという主人公。
そして仲間たちもそれを共有している。

主人公たちは本当の家族に欠けがあることが多い。だからこそ、フェアリーテイルというギルドを本当の家族だと思ってる。

一人一人のキャラクターについて書いていくと長くなるのでここでは省略。

主人公たちが「仲間と笑って生きる」ための戦いの物語であるとまとめておこう。

ここからは私の考察なんだけど、
この主人公たちと対をなすのが、ジェラールというキャラクターで、彼が影のもう一人の主人公であると言えると思うんだ。

ジェラールが一番はじめに登場するのは、1巻の1番最初。
(正確に言えばジェラールの思念体であるジークレイン)

スポットライトを浴びるのは10〜13巻の楽園の塔編。

ジェラールはゼレフという黒魔導師を復活させるため、評議員に潜入し、子供達を奴隷として働かせ、エルザを生贄に捧げようとした悪役だった。
洗脳されていたことが後で分かるけれど。

そんなジェラールが、自分を取り戻し、生きることを肯定されるまでの物語が並行して描かれているように思える。

主人公たちが仲間たちと生きるために全力で戦うのとは真逆に、洗脳されていたとはいえ自分の犯した罪の重さに、自らの生を肯定できないキャラクター。

作者自身も、他の元悪役は何事もなかったように仲間になったり、ごめんねで終わらせたりすることのが圧倒的に多いのに、
自分の意思ではなかったジェラールのことを簡単には許そうとしていない。


はじめに彼に生きろと言ったのは、エルザだった。

もともと、ジェラールと同じ奴隷だったエルザは洗脳される前のジェラールを知っていた。
フェアリーテイルの中で3本の指に入るほど強く「妖精女王」と言われる彼女が、
涙を流したのはジェラールのことだ。

16〜21巻、ニルヴァーナ編にて、記憶喪失の状態で再登場したジェラール。

自分の過去について聞いたジェラールは敵の兵器と共に自分を破壊しようとする。

その時のエルザ。
「お前には生きる義務がある
たとえ醜くても弱くても必死に生き抜いてみせろ(中略)
希望は常につながっている
生きてこの先の未来を確かめろ
ジェラール」


次に生きろというのはナツだ。

無事ニルヴァーナを倒したが、評議会によって逮捕されるジェラール。
捕まれば死刑か無期懲役と言われる。

それを止めようとしたのがナツ。
かつては敵として戦った男だ。
「おまえはエルザから離れちゃいけねぇ!
ずっと側にいるんだ!エルザのために!
だから来い!
俺たちがついてる!仲間だろ!」

エルザのためにってとこがいいよね。


次は31〜40巻大魔闘演舞編だけど、またエルザなので言葉だけで省略。

「強くなければ生きられないのか?違うだろ!生きていくことが強さなんだ」


そして、52〜63巻アルバレス帝国編。

まずは、カグラだ。

楽園の塔編にて、ジェラールの攻撃からエルザを守るために死んだ男の妹。

ジェラールを殺したいほど憎んでいたカグラも、この戦いの最中、
「生きろ」と彼を助けるシーンがある。

もう一人、ジェラールに生きろというのは、一夜だった。

一夜はサブキャラではあるが、エルザに片思いをする男。

命を捨てて強敵を倒そうとしたジェラールへ一夜の言葉。
「君は人を幸せにする義務がある
生きて守らなければならない人がいるハズだ、
ここは私たちに任せたまえ」

かつて自分がひどい裏切りをした相手に、戦った敵に、復讐されるべき相手に、恋のライバルに…

少しずつジェラールは生きることを肯定されていく。

そして、最終話。
国王から恩赦が下る。

「人々のために、生きてください」

不幸にした相手の心だけでなく、
形式的にも罪から解放されたジェラール。

主人公たちの戦いの話と並行して流れていた、罪と生の物語も完結した。

この目線から語る人少ないと思うけど、私はそう思ったよ。
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