宇尾地米人

牛泥棒の宇尾地米人のレビュー・感想・評価

牛泥棒(1943年製作の映画)
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この映画、数ある西部劇映画の中でも上映時間は75分と短めです。そしてこれはよくあるような、悪人が出てきて、正義漢がガンプレイで対決する、といったような作品ではなかった。所謂異色西部劇の一作、といったところです。2人の男が町にたどり着くと、その町の住民たちはどこか殺気立っている。ある牧場主が殺され、牛たちが盗まれる事件があったらしい。犯人は南へ移動した痕跡を残していたため、住民たちは捜索隊を募って追いかけることに。結構な人数でした。馬に乗って、銃を手に、大移動していくところ。西部劇の見どころのひとつですね。荒野や砂漠、山道や谷を馬で走って追いかけるところ。

 やがて捜索隊はオックスボウに到達すると、荒野の片隅に休んでいた3人の男たちを発見し、追い詰めます。

「これは何だ。どういうことだ」

「我々は人殺しと牛泥棒の絞首刑が見たいだけだ」

「何のことだ。人違いだぞ」

ということで、ここからこの映画はどんどん神経質になっていく。捜索隊は男たちを縄で縛り、素性を問い詰める。やはり疑わしい。法はのろまで間違いも多い。俺たちで制裁しよう。いや、誰でも裁判を受ける権利があるはずだ。犯人かはまだ判らない。これでは拷問だ。住民たちや、同行していた主人公との間でも悶着が起こる。さあここからどうなっていくか。段々とこの映画のテーマが出てきます。正義のありか。権利。私刑。集団の心理。最後まで観ると、人々の取り決めだとか、人間の良心、思慮深くあることの大切さ、怒りや勇み足は不幸な人を増やすのだという教訓があります。この映画のエンドマークは、そういうことを伝えました。映画は人生の教科書でした。
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