陪審員2番の関連作として鑑賞。イーストウッドがオールタイムベストに挙げている。面白かった。
街の自警団が殺人と牛泥棒の疑いで男3人を捕まえ、保安官の捜査を待たずに首吊りにしようとする。
イーストウッドが何度も描いてきた、法に基づく正義と私刑の対立がテーマ。私刑の暴走を厳しく批判している。彼の初プロデュース作の「奴らを高く吊るせ」が、無実の罪で自分が首吊りにかけられる話だったことも含め、陪審員2番には彼を形作ってきた作品の要素が至る所に入っているとわかる。
息子にマチズモを見せつけたい元南軍の少佐や堕落した保安官補など、自警団が個性的で、犯人と断定する根拠は薄いにも関わらず、それぞれの理由で私刑に肩入れしていく。「何にもない街の娯楽でしかない」とのセリフもあった。
本来、西部劇は未開拓の荒野だらけのアメリカで犯罪が起き、行政が法律を正しく執行できない時、市民自らが正義を貫くドラマを描く。自立した個人や小規模コミュニティが国を支える、建国の理念を体現する存在として自警団は称揚されてきた。
ヒートアップする自警団に、彼らの行動の法的根拠の乏しさを指摘する今作の判事は、西部劇ではなかなかいないキャラクターだ。自警団のリーダーに軍人を配置し、批判的に描いている点も含め、これが第二次大戦の真っ只中に制作、公開されていること自体が驚き。ハリウッドの懐の深さというべきか…。
全編セット撮影ながら陰影がバシッと決まっている。冒頭とラスト、犬が行って帰ってくるだけ、という演出が裏寂しい。セリフで押す場面と表情や目線で圧力を表現する場面(ラングのような)の緩急が効いており、75分という短時間で次々と話が展開する。寓話的な西部劇にリアリズムを持ち込む手法に「真昼の決闘」を連想。他ならぬイーストウッド自身が掘り下げてきた手法でもある。
(法律の遵守を訴えつつ、「過去の人々の良心を無視する者に良心は語れない」というヘンリーフォンダの締めのセリフは保守主義そのもので、真昼の決闘ほどの左っぽさはない)
捕まった3人に同情的な主人公を「十二人の怒れる男」の主演でもあるフォンダが演じている。今作の彼は非常に苦い思いをするが、「十二人」では無罪主張を根気よく続けるヒーローとなる。陪審員2番ではこの2作のフォンダの要素をニコラスホルトの役に注入している。